改めて情報の持つ意味を考えてみた
2019年5月1日といえば、元号が平成から令和に変わった日でもあります。そんな令和の時代にコロナが襲ってきて、コロナ感染者数に一喜一憂する状況を眺めては、世の中がこんなにも脆く酷いものなのかと痛感する日々が続いております。
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予測・予想が平時のみにしか通用しないことが痛いほどわかり、予測不能だからこその非常時であり、非常時であるからこそ危機的な状況が生まれ、危機を回避するには変化するしかないわけでございまして。
そもそも予測可能であれば準備も出来るし、その予測に向けての変化など大した変化とも言えない。
もっと言えば、準備ができるなら危機的な状況など生まれない。本来は。
何故に、本来は、と付け足すのかといえば、2019年といえば、消費税率が10%に引き上げられた年。
それが決まったのは、直前ではなく、遅くとも2014年の8%に引き上げられたときには、10%引き上げ時期こそ曖昧であっても既定路線であったことには変わりありません。
しかし、その事実を知っていたとしても対処する人(お店・会社)は対処するし、対処しない人(お店・会社)は対処しない。
「先を見て行動する」なんていいますが、上記の消費税率の事実を知れば、誰にでも行動することは出来るはずです。
なので、これから確実に起こることは既に起こっていることとして行動すれば、それはそれで先読みとなるのではと思う次第です。
ですが、今回のコロナは誰もかれも予測できるものではない。というか予測不能。
一旦、パンデミックが起きれば、収束するまでには、ただただ目の前にある問題をいかに解決・対処・処理しなければならない。
会社であれば、解決することができなければ強制終了する。
コロナによるパンデミックを知らない人間を探す方が難しい状況というのは、誰にでも理解できると思います。
私が思うのは、営業で所謂田舎の方を回って、畑で働く人すらもマスクをしていたりするのに驚く、と同時にテレビの威力を思い知らされます。
ただ、一方で、2025年問題や2045年シンギュラリティ、最近では、SDGsなどは、テレビではそこまで取り扱っていない。
2025年問題、2045年シンギュラリティ、SDGs、MaaS、ブロックチェーン、NFT、クリスパー、セサミクレジット、MMT等々、これらを正確に説明出来る人は、そう多くない。
上記を知るだけでも、未来を知ることが可能となる。
つまり、全ては、情報、ということ。
情報というのは知らなければ、その人にとっては未来のことになるのです。
そして、情報を沢山取得することによって他の人よりも相対的な未来を知ることができるようになる。
情報によって、コロナを除く、本来予測可能なものの変化により危機的状況に追い込まれた人も多くいるのだろうと思うのです。
未来のことなど誰にも分かりません。
ただ現実の情報(誰でも収集可能)として、知り得る”差”がそこに存在しているだけということ。
前日のエントリーの締めくくりとして、『いつになるか分からない出口(コロナ収束)を信じながら、私にやれることと言えば、たとえコロナ収束しようがしまいが将来確実に起きる社会構造の変化を踏まえつつ、替えの利かない人材になるよう日々を過ごすことであると自分に戒めることではないかと思うのですが。』と書いたのですが、その社会構造の変化とは何か。
・AIにより、人の仕事が代替される未来
・自動運転車の普及に伴う社会インフラと社会システムの変化
・ITのさらなる進化と普及
・マスメディアの衰退とSNSなどネットメディアの台頭
・フィンテック(金融市場のIT)の台頭
・シェアリング社会の到来(所有から利用へ)
・製造業(特に自動車産業)のサービス産業化
・キャッシュレス化による省力化(省人化)
・先進医療と先端医療による人間の超寿命化
等々。でもこれって知る人なら誰でも知っていること。
上記を踏まえて行動すれば、少なくともサラリーマンとしては替えの利かない人材となり得るのではないかと思うのです。
情報は、向こうから勝手に入ってくるもの、誰にでも簡単に理解できてしまうものに価値はなく、自らが取りに行くものこそが価値あるものだということも忘れてはなりません。
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