最近私の耳に飛び込んでくる言葉に思うこと
コロナが流行してから約一年半が過ぎようとしています。流行した直後には、アフターコロナ、ビフォアコロナ、ウィズコロナという言葉が飛び交っておりましたが、最近ではめっきり聞かなくなったものです。まあ、よくよく考えるとその言葉には何も中身がないとうか意味不明というか、強いて言えばすべてはポジショントークとして使っていたのだろうと思います。
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今年に入ってから日本国内でもワクチン接種がはじまり、コロナ禍収束には、とりあえず期待したいところです。
収束、終息という二つの言葉があるようですが、コロナに限って言うと、ウイルスというものの性質上、収束でしかないように私は思うのですが、一方では、終息することが可能であるかのように錯覚している人も多く存在しているのが、現在の状況なのではないでしょうか。
つまり、人の動きを抑制すれば終息するという妄想であり、ワクチン接種で感染しないという勘違いも含めて。
この混沌とした状況が一刻も早く落ち着ていくれればという思いは確かにあります。ありますが、一体コロナが落ち着くとはどういう状況を指しているのでしょうか?
多くの人が口には出さないかもしれませんが、「終息」するとでもいうのでしょうか?
落ち着く状況とは、あくまでもコロナウイルスがこの地上から無くなることではなく、社会が許容した状況を指しているはずです。
実際に、コロナウイルス以外の病によって日々多くの方々が亡くなっています。
病自体を比較しても意味はありませんが、それ以外の病で亡くなることにヒステリーにならないのは一体どういうことなのでしょうか?
私は、社会がそれを許容しているからに他ならないと思うのですが。
だからといって、「いい加減許容しろよ」などと言いたいわけでもありません。
最近になって、私の耳に飛び込んでくるのが、「コロナ収束には、後○○年かかる」「もうコロナ以前のような状態には戻らない」といった類のものがあります。
一体全体何を根拠に言っているのかしら、どこでそんなことを聞いてきたのかは定かではありませんが、まあ、これが今年のコロナ禍でのトレンドワードなんですかね?
確かに、観光業、飲食業からすると死活問題ですから一日でも早くコロナ禍が収束してくれることを願うばかりですが、収束したからといって諸手で喜べるような状況が待ち受けているのでしょうか?
仮にコロナが流行していなくても、日本においては、自然災害、人口構造の変化、消費増税といった外部要因はいくらでもあります。
それはつまり、好景気、不景気のようなもので、その時々の状況を把握して、取れる最善策を講じるしか道はないのだろうと思うのです。
結局は、時代は流れて進んでいるわけですから、逆回転するわけがありません。なので、コロナ以前には戻らないということを言う人の気がしれないのです。そりゃそうでしょって感じです。
そんな言葉に惑わされること無く、今を基準にして積極的に行動するしかありません。そして、それは、コロナ以前からもそうであるようにコロナ禍でも当然です。
どんな状況でも諦めず前向きに取り組みたいものです。
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