状況が変われば変わるほどに
コロナが流行してなんやかんやで一年半が過ぎようとしています。テレビでは連日、東京都のコロナ感染者数を報告するばかりでウンザリしています。状況は刻々と変化するわけですから、コロナ禍といわれるようになって私の周りでも少なからず変化が起こっています。
人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
私の取引先である美容室の状況も一年半前と比べるとまるで違っているところもあれば、そうでないところもある。
ある程度の時間が経つと、その人間が、日々何を考えて行動していたのかがよくわかります。
物事を取り組んだ結果というのは、長い年月が経たないと分からないという類のものではなくて、三ヶ月もあれば結果はチラホラと出てきます。
結果が何もないということではなくて、何もないという結果が出ていることを知らない人が多くいるのだろうと思います。
例えば昨年、結構な頻度で営業マンの指導をしていたのですが、今年に入ってめっきり指導をしなくなりました(ある意味意図的にですが)。
この文脈からして、もうお気づきかもしれませんが、営業の指導をしていたときには何らかしらの良くも悪くも結果が出ていました。
ところが指導を控えていくと、何も結果が出ないという結果ばかりなのです。
結果を出していくという習慣もあれば、結果を出さない習慣もあって、どちらも同じように身に付くのです。
どのような習慣を身に付ているかが非常に重要なのです。つまり、コロナ禍という環境の変化に対して、もっといえばどのような環境の変化があったとしても習慣は外部要因では変わることはありません。
習慣を変えていけるのはその人のみだからです。
私が指導していた営業マンも結果を出せる習慣なのか結果を出さない習慣なのかというと、結局は結果を出さない習慣が身に付いているわけです。
何故なら、結果を出さないから。
外部要因、今回は私の指導ということになりますが、それがあって多少は結果を出さなければと考えるようになります。しかし、所詮は外部要因ですからそれが無くなれば、簡単に元に戻ってしまうのです。
美容室の場合でも、コロナ禍となって状況が変わったわけですが、そのオーナーの尻を叩く人が都合よく表れるわけではないので、自分でその状況を何とかしなければなりません。
もうお分かりでしょうが、日頃から人から尻を叩かれることなく動いている人は、コロナ禍であってもコロナ以前同様に動くことができます。何故なら、そういう習慣だから。
しかし、そうでない人にとっては、動くという習慣がないのでどうしていいのか分からない。ただひたすらありもしないコロナ収束を待ち続けるばかりです。何故なら、そういう習慣だから。
こんな感じで、営業マンにしても美容室にしても見事に結果も行動も全てが二極化してきている印象を受けます。
取引先の美容室には、私が知り得る限りの情報を提供することはしますが、それでもそれに基づいて行動するかどうかはその人次第です。
よくいうところの「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というやつです。
馬が水を飲むかどうかは馬次第なので、人は他人に対して機会を与えることはできますが、それを実行するかどうかは本人のやる気次第なのです。
状況が変われば変わるほどに、その人の習慣が表面化しているように感じる今日この頃の私です。
グレッグ・マキューン「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」
「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」
人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
【関連記事】
「外部環境の変化よりもマインドの問題」
「気づく力は習慣化によって得られるもの」
「良い習慣をつくることの壁になるのが悪い習慣」
コメント