平時の余裕が非常時でこそ活きる


どれだけ事前に準備をしていても不測の事態は起こるものです。不測の事態を予測することなど不可能なので、不測の事態が引き起こすダメージを出来るだけ緩和するために、あらかじめ「余裕・ゆとり」をもって行動しなければなりません。

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一言でいうならば、「バッファ」ですね。

仕事で忙しくすることは大切なことだとは思いますが、常に余裕を持たせるのはそれ以上に大切であると思います。

スケジュールがぎっちぎちで身動きが取れないような仕事は、いつかどこかで歪みを生むのではないでしょうか。

もちろん、余裕を暇と同意に捉えられては困るのですが、どうやら余裕というやつは平時では無駄と切り捨てられてしまいます。

平時の余裕が非常時にこそ生きるはずですが、どうやら多くの人は、余裕と無駄をはき違えているようにも思います。

平時から「そんな余裕なんてない」と言っている人が、非常時に余裕をつくることなど出来るはずがありません。

非常時であればあるほど、平時では難なく出来てしまう判断であってもミスを起こしてしまうものです。何故なら、余裕がないから。


「機会損失」という言葉があります。


コロナ禍であらゆるイベントがストップ、規模を縮小、オンライン、という状況です。

不思議なもので常日頃からイベントが開催されているときには感じませんが、開催されなくなると途端にそのイベントに行きたくなる、または行けばよかった、と後悔するものです。

しかし、コロナ禍であっても実は様々なイベントは開催されています。

仮に、あるイベントに行きたいとすると、イベント開催の日程に自分の都合を合わせるしかありません。自分の都合にイベント開催の日程をズラせる人などそうはいないでしょうからね!?

つまり、ここが平時での余裕が大切になる。更には、機会損失にもつながるわけです。平時で余裕を無駄と切り捨てていた人が、非常時に余裕を持つことなど出来ません。


私も仕事をしていますし、美容室向けの勉強会もあって割と時間には余裕は無い方かもしれません。だからといって、忙しいというのはちょっと違うような気もしています。

サラリーマンですから、所詮は会社から要求されている仕事をこなすだけです。しかし、それでもその仕事を能動的に進めるか、受動的に進めるかでは、肌感覚として仕事に対する忙しさというかコントロール感が全く違うのです。

受動的に進めれば、それは仕事を忙しく感じるだけです。まあ、忙しいフリでしかないのですがね。

しかし、能動的に進めていくとヤルベキ事が明確になってコントロールしやすく余裕が生まれてきます。

でも、これは平時での話です。コロナ禍といった非常時にもなれば、平時の余裕を持たない人は更に追い込まれていきます。というか余裕を持っている人であっても追い込まれるのが非常時というもの。

だからこそ、平時から余裕をもって行動する、仕事をする、ことが大切だと思うのです。

もっとも、仕事において成果が全く上がっていないのに余裕云々はありませんし、それはただの怠慢でしかありません。


先日もある美容室オーナーが、参加できたはずのイベントに行けなかったことを後悔しておりました。

イベントの内容を聞けなかったから後悔していたのではなく、イベントに参加する行動を取らなかったこと、そして、日頃から余裕を持たせきれなかったことをしきりに後悔というか、反省していたのが印象的でした。

結果として、このオーナーは機会損失となったというわけですね。





グレッグ・マキューン「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」




「アーノルド・ベネットの賢者の習慣」





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