できれば将来に囚われたくはない
社会人となってから「勉強」や「学び」というと、私の場合、すぐに何らかの資格取得ためかな、と考えてしまいます。資格ではありませんが、英会話スクールに通う話も聞きますが、それなんかは社会人アルアルの勉強ではないかと思います。社会人になってからの「勉強」や「学び」は、仕事に関してもそれ以外だったとしてもそこには、個人個人のある理由というか背景があるはずです。
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ということで以下の記事が気になりました。
『学ぶ20代、学ばない50代…コロナ禍で浮き彫りになった「気まずい事実」』
(前略)コロナウイルス流行以降に新たな自己啓発を「始めた」と「始めたいと思っている」の回答合計を世代別に見ると、20代が54.2%なのに対し、50代は31.2%と差が目立ちます。将来不安は変わらないのに「学ぶ20代、学ばない50代」というコントラストが浮き彫りになっているのです。
この自己啓発については、目的を尋ねるとともに、平成30年の能力開発調査との比較が示されています。それによると、30年調査では「現在の仕事に必要な知識.能力を身につけるため」(85.8%)が断然首位だったのに対し、今回は「将来の仕事やキャリアアップに備えて」(46.3%)が「現在の仕事のため」を抜いて首位となったのが象徴的です。
20代で管理職は少なく、50代は管理職についている人が多いはずです。つまり上司世代はあまり学んでいない一方で、若い世代ほど将来のキャリアを見据えた学びの必要性を強く意識しているのです。(後略)
以上引用。
この記事によれば、コロナ禍が「勉強」や「学び」の理由や背景となっているようです。
実際に「行動した、行動しようとした」のは20代が50代を上回ったようですが、ここに何の意味があるのかと思うのですが、記事での締めくくりとして以下が書いてありました。
『特に管理職や経営層である50代の上司の皆さんは組織で大きな影響力を持っていますので、自己変革が必須です。自身のためにも、人生100年時代にふさわしい将来への学びをぜひ模索してください。』
50代は立場を考えて下の世代の模範となるように行動してみてはどうですか?ってことなんでしょうか?
50代に向けて「将来への学び」っていうのもなんだか頓珍漢な感じがしてしまうのは私だけでしょうか。いつまで「将来のために」に囚われているのかなと。
今、目の前にある物事に集中することが事態の最善策だと考える私にとっては、「将来のために」はなんとも悠長なことに感じられて仕方がありません。
なので「コロナが収束したら」なる言い回しが私は嫌いです。何故なら、言い訳でしかないから。
〇〇してから、〇〇が済んでから、も同じで、これらの言い回しは本気じゃないというか、やろうと決めていない人間が多用するものです。
「勉強」や「学び」は大切だとは思います。しかし、コロナ禍だからという結びつきはこじつけでしかありません。
非常時になれば誰だってそんなことは考えるものです。大切なのは、平時からの日頃の取り組みだと私は思います。
平時からどれだけ取り組んでいてもコロナのような不測の事態は免れないし、避けては通れないもの。ただ、日頃から取り組む人からすると、向き合い方、捉え方が違います。何よりも軌道修正をしやすい。
私の周りの人間で、平時から取り組んでいない人間が非常時であるコロナになってから取り組みだした人間を知りません。やはり、習慣の延長でしか動けないものです。
20代だろうが50代だろうが、動くやつは動くし、動かないやつは動かない。ただ、年齢は確実にあって、動きやすいのは1歳でも若い方が遥かに動きやすい。
何故なら、習慣が身体に染みついた時間に比例して別の思考、行動もとろうとは思わないでしょうから。
なんだか的外れな記事への感想となりましたが、「勉強」や「学び」が大切であることは間違いないとは思います。
「ライフ・シフト 100年時代の人生戦略」
スティーブン・R・コヴィー博士による世界的ベストセラー『7つの習慣』(「完訳 7つの習慣 人格主義の回復」)
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