コロナの空気感に慣れたくもないけれど


今日から10月です(当たり前すぎる)。19都道府県に発令中だった緊急事態宣言、ならびに8県に適用中だったまん延防止等重点措置が9月30日をもって全て解除されました。全都道府県で宣言、まん延防止措置いずれも解除された状態となるのは4月4日以来で約半年ぶり。

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私だけかもしれませんが、なんとなくコロナが収束したような錯覚すらあります。というのも何かしらの宣言が、どの地域にも出ていないからです。それだけにこの半年はとにかく長く感じました。

とはいえ、わが街長崎も県下全域でコロナの感染段階が【ステージ2注意報】となっており相変わらずのコロナ禍であることは変わりありません。

一年半以上も続くコロナ禍で、しかも、緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が連発され、やはりそれに合わせて行動を規制している自分がそこにいることを感じます(もちろん行政からのルールを守った上での話)。

やはり、「慣れ」はある意味では怖いものだなと思います。つまり、コロナの”空気感”に慣れてしまっているのです。

あれだけ一日でも早くコロナが収束することを望んでいたのが、今では収束することに動揺する自分がいたりします(なんとも情けない)。

「コロナが収束してから」という言い回しは嫌いだし、そんなことなど考えることなく行動していたはずなのに、どこかしらコロナとコロナ収束に引っ張られている自分がいるわけです。

コロナ禍となり、とくに仕事ではコロナを言い訳にしていたわけでもないのに、どこかで言い訳にして仕事で手を抜いているような気がしてなりません。

どんなに最悪の状況であっても、その状況がある程度時間が経てば慣れてしまい、そしてそれが当たり前となる

つまり、その状況とはコロナにほかならない。変化を嫌う人間としては、コロナが逆に続いて欲しいと考えることだってあり得るわけです。

流石に、コロナが続いて欲しいとは願わないけれども、コロナ収束による変化に対応できるかを今から不安に思う自分がいるのも紛れもない事実です。そんなことをどれだけ考えても無意味なのも頭では理解しているのにも関わらず。

ただ、この不安があるからこそ仕事にエネルギーを注げるのも事実かなと。変化には不安はつきものですから。

まあ、それだけに長く続くコロナ禍だということでしょう。





「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」





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