読書の成果が思わしくない原因


私自身、読書を好んでするタイプではなかったのですが、たまたま数年前に手にした本が非常に面白くて、それからというもの読書を欠かさなくなりました。読書の魅力を聞かれれば、シンプルに自分が知らないことが書かれてあるので好奇心を揺さぶられるから、と答えるでしょう。そして、世の中にはとてつもなく頭が良くて、面白い人がいるものだと感心してしまうからです。

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「たまたま手にした本」であると冒頭に書きましたが、手にしようとした切っ掛けが当時はありました。それは、仕事に行き詰まっていたからです。

今でもコロナによって仕事に行き詰まっているのですが、当時は当時で仕事に行き詰まっておりました。なんとか打開策はないものかということで本を手にしたわけです。

なので、読書の魅力は先述した通りですが、読書の理由としては、仕事になんとか活かせないものかというもの。

読書を定期的にするようになって数年が経過しましたが、読書の成果が仕事に反映されているのかどうか、とたまに思うことがあります。

そして、今年、たまたま手に取った本のひとつに「アーノルド・ベネットの賢者の習慣」があります。




この本の中で、読書の成果について以下のように書かれあります。


読書の成果が思わしくない最大の原因については、まだ述べていない。それは、以上述べた原因よりもはるかに単純な原因である。

それは、考えることをしないということである。人は繰り返し、繰り返し読みはするが、それ以上に努力は払わなくとも、作者のいわんとする要点は吸収同化されるものと、厚かましくも考えているのである。しかし、そんなことはない。吸収同化されていない証拠は、自分自身の生活を振り返ってみればわかるだろう。

少なくとも、読むのに費やしたのと同じ時間を、その内容について活発に、明瞭に考えてみることに費やさないとしたら、極端な話、それは著者を侮蔑していることになると私は思う。

著者が伝えようとしている思想を分類し、伝えようとしている感情を明確に自分の心に刻印するために、労をいとわず頭を使い、心を傾けないならば、読書とは、単なる気晴らし以外の何物でもなくなる。




確かに、読書はしていますが、いつの間にか仕事に活かすネタ探しのような感じになっていたのかなと。ネタを探す感覚ですから、本を何冊読むかに無意識に拘っていたようで、「アーノルド・ベネットの賢者の習慣」によって自分の浅はかさを思い知らされました。

どうりで読書感想文がいつになっても上手く書けないと思いました。



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