2011年3月11日から11年が経過して
タイトルにあるように東日本大震災の発生より11年が経ちました。日本は、言わずと知れた世界でも災害の割合が高い国です。ただ、災害は人災とは違って未然に防ぐことなど不可能です。出来る限りの(ハードとソフトと共に)防災に取り組み、そして、災害が起こったならば連帯意識をもって乗り切っていかなければならないと思うのです。
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昨年より、仕事上、熊本への出張が増えました。熊本地震が起こった当時の状況とそして現在に至るまでの状況を聞くことがあるのですが、そこには熊本地震の爪痕が、まだまだ残っていることを思いしらされます。熊本という場所と熊本の人の心に。
現地の人からすれば、まだ熊本地震は終わっていないのだろうと思います。そうとは思いますが、それでも前向きに生きていく姿勢も同時に感じ取れます。
九州では、地震よりも台風や火山による災害を危惧しておりましたが、熊本地震が起こったことにより、日本であればどこでも地震が起こり得ることをまざまざと見せつけられました。
東日本大震災で被災された方が、熊本に移住して熊本地震にも遭遇するなどあり得ないことが起こってしまったのです。
いつどこで起こるか分からない災害に対して日本では安全な場所などありません。ただ、確率的に遭遇するかしないかの話。
とはいえ、現実には最も不安視されている首都圏に人が集中している。
仮に、首都圏で地震が起こり、地方が受け皿となるのでしょうが、その地方は、現状受け皿となり得るのでしょうか。
コロナ禍でも明らかなように、私には連帯意識よりも益々分断が進んでいるように思えてなりません。
平時では、余裕を無駄であると切り捨てられるインフラ整備。インフラ整備と維持管理が遅れている地方に人が移り住んで、変わらぬ生活が出来るのでしょうか。
そして、地方に住む私たちは、移り住んでくる方々を無条件で受け入れることが出来るのでしょうか。
正直なところ、私にはそんな自信もないし余裕もありません。自分のことだけで精一杯の日々を送っています。
でも、それでも私は、昨年の同じ日のエントリーでも書いたように、美意識として困った人には手を差し伸べられる人間でありたいと思いますし、そうであるように務める責任もあり、それこそが連帯意識なのではないかと思うのです。
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