大切なのは学ぼうとする気持ち


学びの場の代表といえば学校だと思いますが、今では様々な場所で学びを享受?できるようになっているように思います。コロナ禍となってからというもの「ウイルス」「ワクチン」といった普段は聞きなれない言葉をよく聞くようになりました。

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私自身は、たまたま細胞学のようなものを教わっていたので「ウイルス」がどのようなものかの認識はありました。しかし、多くの人は、ウイルスも細菌も区別がつかないようで、コロナが流行しだした頃は、トンデモ「感染予防」が目立っていました。

高校で生物を専攻?してある程度の理解があれば、ウイルスや細菌の区別など簡単だったと思います。つまり、教わっているもののちゃんと理解もしていないし、使えてもいないということです。

このように考えると「学校で教わった内容が役に立たない」と言い切ってしまうのは、理解していないことの言い訳でしかないようです。もちろん、全ての内容が役に立つわけではないでしょうけれど。

但し、生物学の内容は教わった年代によって多少の誤差はあるようで、最近ではDNAを学ぶのは当たり前でしょうけれど私の世代(団塊ジュニア世代)では名前は聞いたことがあるがよくは知らないという人が多いのかもしれません。

コロナ禍の騒ぎ(今でもそうですが)が何故起こってしまったかを考えると、日本人全世代で共通認識のようなものがなかったからとも考えられます。生物学、薬学、医学といった専門領域を全ての日本人が知るはずもなく、リテラシーの差といってしまえばそれまでですが、頭が良い悪いの話しではなく、教わっている(認識)内容に差があるのだから騒ぎが起こって然るべきだったのかなと。

知らないことを知ろうとする欲求はあるはずで、どこでその知らないことを知ろうとするか。

私からすれば、その道の専門家に聞くのが一番手っ取り早いとは思うもののそう都合よくそんな人がいるはずもありません。

世代によって違うでしょうけれど、テレビから情報を入れる人も多いはずです。それと同様にネットから仕入れる人もいる。今では、YouTubeがその代表格でしょう。

どのように学びどこから情報を仕入れるかは人それぞれですので、どれが最適かは私には分かりません。ただ、生物学といった学問の体系が出来ているものは教科書があれば十分だと思います。

辛いのは、誰もかれも文字を読める、つまり、文字情報から理解できるというわけではありません。だからこその先生の存在だと思いますが、先生を欲しいと思ったときは、大体は学校を卒業してしまっているのがオチなのではないでしょうかね。

だから、YouTubeの存在は非常に大きいのかもしれません。


「YouTubeで学んでいます」という人が知らずにハマる「致命的な落とし穴」


上記のようなものをよく目にしますが、私の意見としては全く気にする必要などないと思います。学びの入り口など何でもいいのではないでしょうかね!?

大切なのは学ぼうとする気持ちなので、そこを邪魔するような情報はむしろシャットアウトするべきでしょう。つまり、上記のような記事などは・・・





「新しい高校生物の教科書」




「カラー図解 EURO版 バイオテクノロジーの教科書(上)」




「カラー図解 EURO版 バイオテクノロジーの教科書(下)」





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