仕事の適性、それ以前の問題として
何かに合う合わない、相性の問題、があるように職業の選択、仕事の適性をよく耳にすることがあります。しかしながら、適性というものを絶対視し、過信することから「自分が仕事に合わせる」という発想が、最近はとくに世の中から感じ取れなくなっている私であります。
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私は営業マンですが、正直なところその仕事が適性なのか、合っているのかすらよく分かりません。長く続けてきた”せい”で習慣化されているのか、それとも惰性なのかすらよく分かりません。
ただ、一定の成果は上げることが出来ているだろうとは思います。なので、成果を上げることが出来ているので合っているともいえなくもない。
私としては、適性や合っているかどうかよりも、能力を身に付けることの方が遥かに重要であると思います。どんな仕事でもその仕事で成果を上げるにはその仕事特有の能力が必要となります。
一括りに営業といっても様々です。
営業は販売とも違いますし、ニーズを汲み取りるとか提案するとか言われたりしますが、結局のところ「いかに売るか」に尽きます。
それぞれの営業では、その売る商品(モノ・サービス)が違うのですが、私の場合は美容メーカーの営業マンですから、自社商品を売らなければならない。一方、美容ディーラーであれば、沢山あるなかから商品を選択できる。
明らかに、メーカーの営業とディーラーの営業は違います。どちらが難しとか、偉いとか、そういう意味ではなく、営業として質が違うという意味です。
ディーラーの営業で成果を上げていたからといって、必ずしもメーカーの営業で同じように結果を出せるというわけでもない。逆も然り。
質が違うので、質に応じることが出来るように営業力、つまり、能力を身に付ける必要があります。
以上は、営業の話ですが、営業から違う職に移行する場合でも、どこまでいってもつきまとう話です。
職を転々とすること自体が悪いわけではなく、自分に合う、適性の仕事を見つけるために転々とするのは、おかしな話かなと。
そもそも個性の多様性ほど職業は多様化しているわけではないので、どんな職業にも必ず求められる能力があるわけです。
つまり、「自分が仕事に合わせる」ということ。
能力を身に付けるという努力の部分を置き去りにして、ただ適性だとか合わないとかいってしまうのはちょっとカッコ悪いかなぁと。
そして、仕事が合うとか合わないとか、適性かどうかとかはその仕事をやってみないと分からないし、また、面白くないとか楽しくないというのも同じで、仕事の面白さや楽しさというのは、ある程度結果が出せるようになってからしか味わうことは出来ません。
これって楽器に演奏によく似ています。初めから誰も楽器は弾けません。だからといって、自分には合っていないといってやめてしまえば永遠に弾けることはありません。
仕事の楽しさ、面白さは、ちょっとだけ得意になってからです。
そこの努力の部分を避けていては、永遠に合う仕事など見つからないでしょう。
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