私が考えるプレゼンの「型」について
営業の仕事の殆どが「話す」ことです。自分を売り込むにしてもモノやサービスを売り込むにも話しをしなければなりません。で、多くの営業マンが詰まるのも自身の話し、というか「話し方」といったものではないでしょうか。
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私の経験上からいうと、いくら話し方にこだわっても意味がないということになります。とはいえ、そこにたどり着くには私にしてみても色々と話し方を模索したのは確かです。
「話し方を模索した」と書きましたが、その中で最も一般的なのはやはり「真似る」ことではないかと思います(もちろん私もやりましたし)。
”この人のように話してみたい”というものは営業マンならば誰でも思うところでしょうから。誰の真似かといえば、その時々でのトップセールスか、または上司かなと。
つまり、実際に数字を出している人の真似をするということ。あくまでも営業マンの役割は数字を出すことなので。
『プレゼンがうまい人には共通する「型」がある』
(前略)プレゼンがうまい人には共通する「型」がある
いくつものプレゼンを見るうちに気づいたことがある。それは、自分がいい!聞きやすい!と思ったプレゼンには、どうやら共通点があるらしい、ということ。よく見ると、「このやり方は、あの人に似てる!」と、共通の要素が見つかるようになったのだ。
ちょうどそんなころ、京都のとある小学校の先生から「生徒たちのプレゼン能力を伸ばしたい!」という仕事の依頼がきた。そこで僕は、先生と一緒にある実験をやってみた。「他人のプレゼン-1グランプリ」。
同じテーマについて考えてきた2人が、プレゼン直前に原稿を交換。相手の原稿で、いかに上手にプレゼンできるかを競う。つまり、プレゼンのスキルのみを浮き彫りにしてしまうのだ。結果、面白いことがわかった。何度やってみても、勝ち上がる生徒はだいたい一緒。プレゼンがうまい生徒は、どんな原稿も上手にプレゼンできたのだ。
ここで、ひとつの仮説が生まれた。どうやら、プレゼンがうまい人は、共通する「型」がある。だとすれば、型さえマスターしてしまえば、誰でもプレゼン上手になれるのでは……?
これが、僕が提案する、プレゼン上手を量産する仕組み「プレゼン工学」の基本的な考え方だ。(後略)
以上引用。
大前提としてプレゼンが上手いかどうかは全く関係がないと私は思っています。というのが上手いから何かが決まるというわけではないので決まればそれは上手いということでしかないので。
という前提を踏まえつつ、それでも記事にあるような「型」について私なりに考えてみます。
とはいえ、考えてみましたが「型」があるようでないようで・・・
あるとすればよく言われるところの「メラビアンの法則」を意識するってことでしょうかね?
結局、話なんて聞いているようで何も聞いていない人が殆どだということ。
なので話す内容よりも雰囲気(人間性)が全面的に伝わってしまうわけなのでそこはどうしようもないのが現実。
だかこそ「人間性を磨く」的なこともよく言われますが、そもそも人間性って何?って話しなんですよね、私からすれば。
記事では「パーソナリティを入れる」とありますが、相手がそれを気に入らなければ(相手にとって)地獄以外の何物でもないとだけはいっておきましょうかね!?
となるとここから考えるべきは、プレゼンはプレゼンする前に勝負が決まっている場合が殆どなんです。
どいうことかといえば、プレゼンの内容を欲しがっている人にプレゼンするのか、ただプレゼンをするのかの違い。
プレゼンの「型」だけならばいくらでもノウハウはあるでしょうけれど、問われるべきはその中身なのでそこを忘れて「型」をいくら追求しても意味はありません。
まあ、記事ではそこは論点ではありませんが・・・あくまでも営業マンにおけるプレゼンについて私なりのプレゼンの「型」について考えてみました。
髙田明「伝えることから始めよう」
「堀江貴文のゼロをイチにするすごいプレゼン」
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