知っているからといって使えるわけではない!?
フラストレーション (frustration)。精神分析学の用語。「欲求不満」、「欲求阻止」、「要求不満」、「要求阻止」などと訳され、欲求を阻止するような環境状況をさしたり、そのような状況に置かれた個人の内的状態や、その結果として表出される反応をさしたりする包括的な言葉。
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一般には、欲求の満足がなんらかの障害によって達成できなかった八方ふさがりのやりきれない心境を、「フラストレーションに陥った」というように表現する場合が多い。
フラストレーション状況を引き起こす妨害や障害は、かならずしも客観的に実在する事物や人とは限らない。主観的に妨害や障害と感じたり考えたりすることによっても引き起こされる場合がある。
障害はいつも外部にあるわけではなく、能力の欠如のように本人の内部にあることもある。
ということでありまして、以上のような内容がフラストレーションの説明であります。ネット検索はかくも便利。
『停滞したときのフラストレーションを起爆剤にする4つの方法』
誰でも身に覚えがあるだろう。
絶対にキャリアアップしてやると心に決め、自分を変えてくれるに違いない何か、次の段階に進むために役に立つであろう何かに全身全霊で打ち込む。しかし、成長を目指してひたすら努力しているときに突然、壁に突き当たる。その壁を乗り越えようとムキになり、何度も繰り返し体当たりするが、どうしてもその先に進めない――。
こうして自信喪失のスパイラルへと陥り、自らに疑問を抱く。そして、苛立ちを募らせるあまり、敗北を認めるしかないと思い込んでしまう。ベストを尽くしているにもかかわらず、一歩も前進できないように感じることは、ひどい苛立ちを覚えることかもしれない。しかし、そうしたフラストレーションを抱える状態は、必ずしも悪いことではない。フラストレーションをキャリアアップにつなげる意外な方法を4つ紹介しよう。(後略)
1.行き詰まっているのは、「明確さの欠如」の兆しかもしれない
2.間違った方向に向かっている可能性があるのかもしれない
3.他の人と話をして、新しい視点を手に入れる
4.達成の前には常に行き詰まりがあると考える
以上引用。
話が逸れますが、知識を知っていることと、使う、活かすは全く別問題というような感じでしょうかね。
知識を知ることと使えることがイコールになっているわけではなく、知ることと使うことは別々のスキルを必要なわけです。
学校で教わった内容が社会では役に立たないという意見はよく耳にするところですが、一方で、社会人となり、もっと勉強しておけばよかった、と感じるのは何故なのでしょう。
確かに、役に立たないこともありますが、それは同時に活かせるかを思考できないともいえます。もっと勉強しておけばよかった、と思考できるのは、活かせる、使える場面だと判断できたからでしょう。
知識を知ることと使うこと、どちらが大切なのか?みたいな話は全く意味がなく、それぞれに異なるスキルを要するということです。
今回のフラストレーションでも、冒頭に長々と書いたそれ自体の説明を知ること、そして、自分自身が仕事、プライベートなど、どこでそこを感じているかを知ること。
そして、記事にあるような使い方、活かし方となるのだろうと思います。
知ることだけでもダメだし、使い方だけでもダメだし、どちらとも必要だということでしょうかね!?
佐渡島庸平「観察力の鍛え方」
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