カタカナばかりだったコロナ禍


新型コロナウイルス感染症が世界規模で流行し、私たちの暮らしに大きな影響を与えました。そのなかで、見慣れない言葉や聞き慣れない言葉が次々に登場し社会にあふれるようになりました。以下にそれらを羅列すると、「コロナ禍」「パンデミック」「クラスター」「ソーシャルディスタンス」「ロックダウン」「濃厚接触」「ステイホーム」「オーバーシュート」「3密」「不要不急」「ウィズコロナ」そして「ニューノーマル」といったもの。

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印象は、カタカナばかりで何が何だかよくわかりません。多分、それを使い出した当事者も分かっていなかったのかもです!?

とはいえ、その言葉たちによって要請という名の強制によって、コロナ感染防止のために人と人との接触を減らすことが「ニューノーマル」となり、そこで出来上がってしまった習慣のようなものもあります。

ということで。


【コロナ禍の新習慣】やめたいものは「黙食」「アクリル板」、8割以上が今後も継続したい習慣は?

コロナ禍中の新習慣で残したいものと、なくしてほしいものを尋ねたところ、継続してほしい習慣で8割を超えたのは、「飲食店の注文用タブレット」(84.6%)と、「入店時のアルコール除菌」(80.7%) だった。一方、「黙食」(60.5%)と「飲食店の正面のアクリル板」(53.5%)は、半数以上が撤廃を希望した。

そのほか、「通勤・通学電車でのマスク着用」「特急・新幹線・飛行機などでのマスク着用」「時差出勤」などで7割前後の継続意向があった。コロナ前の状況や水準に復活してほしいものは、「帰省や友人宅への気軽な訪問」(58.5%)が最も多く、「お見舞」(43.9%)、「トイレのジェットタオル・エアタオル」(41.4%)、「お花見」(38.0%)と続いた。


以上引用。


こんな記事を取り上げておきながらなんですが、ホントなんだかなぁって感じです。コロナの感染予防対策が本質なんですが、そんなことなんてすっ飛ばされて習慣だけが残るとか残したいとかという。

つまりは、これがコロナに対する私たちの本音なのでしょう。

大して感染予防の意識なんてものはない。

大多数が次々と登場する言葉やそれに伴うズレた感染予防対策に辟易していたはずで、ただ、周りが仕方なく従っているので従っているという。同調圧力ってやつです。

先日、長崎で第一例目のコロナ感染者の話になりました。

で、その方の噂話がひどすぎて、結局、引っ越しを余儀なくされたのを思い出しました。

誰だって周りの目が怖いですしね。一番怖いのは、コロナではなく人間そのものを象徴するような出来事。

しかも、それを覚えている人も少ないでしょう。当事者は一生忘れないでしょうけどね。

コロナって一体何だったんでしょうかね?





スティーブン・ジョンソン「EXTRA LIFE なぜ100年で寿命が54歳も延びたのか」




マルクス・ガブリエル「わかりあえない他者と生きる」





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