居心地が良いとか悪いとか


2020年1月2日のエントリー「居心地の良さを勘違いしてはいけない」では、居心地の良さも捨てがたいけどそればかりでは成長も向上もしないのであえて変化することも大切なんだろうなぁ的な内容をダラダラと書いておりました。そんな2020年にコロナが襲ってきたという。コロナによって、多くの方々が一斉に居心地の悪さを経験することになろうとは。まさに予測不能であります。

人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。





今になって当時のエントリーを振り返れば、居心地が良いだの悪いだのと、そんなものは平常時の戯言に過ぎないのだなぁとつくづく実感します。

コロナという非常時の象徴のようなものが舞い込んでくれば、居心地なんてものは言ってられなくて、兎にも角にも変化して対応しなければならないわけでありまして。

とはいえ、「あなたは変化したの?」と問われれば、何とも微妙な返事しか出来ないのもまた事実であります。

変化したといえば変化したし、変化していないといえば変化していないし・・・みたいな。

私にとってコロナは非常時かもしれませんが、人によっては平時というか、その環境が有利な場合だってあり得るわけです。

そんなコロナだろうが何だろうがあまり影響を受けることなく有利な環境の住人が覚えそうな感覚が以下かなと。


居心地は悪くないのに仕事で「もやもや」の正体 晴れない気持ちをスッキリさせるのは「越境」だ

社会人になって7~10年の中堅ビジネス・パーソンは、「もやもや」を抱えることが多いのではないでしょうか。
「この会社で10年働いてきたけど、本当にこの仕事でよかったのか?」「自分の仕事は一体誰の役に立っているのだろう?」「このままずっと会社員でいいのかな?」「自分はずっと日本で暮らす?」――。この「もやもや」を晴らすのは「越境」です。(後略)


以上引用。


そもそも居心地が悪くないから「もやもや」しないはイコールではないでしょうに。何となく、成功したけど幸福になれないと似ているような似ていないような。

この記事のようにビジネス書は、基本的に煽ることしか書いてありません。私も数年前には、それによく踊らされていたものです(今もかもですが)。

まあ、もやもやも何も、結局は、仕事に飽きて、退屈で、ヒマで、何をやって時間を過ごせばいいかわからないだけなのでしょうね。





マイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」




岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」





人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。


コメント

非公開コメント