私にとって窮屈に感じてしまうこと


情報を仕入れることが学びだとか勉強だとかと勘違いしている人っているんでしょうか?もちろん、情報を仕入れただけでは学びでも勉強でもありません。学びにはそもそも時間がかかるものですから。そして、時間を費やすのは「考える」というものに対してのもの。

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『アーノルド・ベネットの賢者の習慣』の中で「読書の成果が思わしくない最大の原因」というものがあります。

これはホント単純な理由で、「考える」ことをしないからと指摘されています。

読書をすると何が書かれてあったかにとらわれがちですが、そんなことよりも「自分がどのように感じたか」が極めて重要です。

そして、どのように感じたかを適切に表現するには、やはりそこには時間をかけて考えなければなりません。

もちろん、瞬間的に、直感的でも構いませんが、読み終えてどう感じたかも大切でしょう。ただ、その場だけではなく、その後もずっと考え続けることも大切なのではないだろうかと。

現代においてはあまりにも情報がありすぎて、何が何だかよくわからないことばかりです。私も分かった感を装っていますが、現実には何も分かっていないようにすら感じることもしばしば。

タイパ、コスパ、といった言葉に象徴されるように、何かをやると必ず得られるものがある、がセットであることが正義であるような世の中は、私にとってはちょっとばかり窮屈に感じられてしまいます。

まあ、ビジネスの場面でそんな悠長なことなど言ってはいられないのですが・・・





ジェフ・ホーキンス「脳は世界をどう見ているのか」





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