収斂と分岐
マーケティング界隈ではよく語られるところの「マズローの欲求5段階説」なるもの。人間の欲求を5段階に設定して、下から上に向かって欲求を満たしていくとかいかないとか。ところが、この説を考案したマズローは、どうやらピラミッド構造についての言及はなく、後世のマーケターがマーケティング的に作ったとか!?
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5つの欲求とされる「生理的欲求」、「安全の欲求」、「社会的欲求」、「承認欲求」、「自己実現欲求」ですが、まあ、自己実現欲求がピラミッドの頂点ですが、そこにたどり着くには下から欲求を満たす必要があるとよく解説されています。
一見するとなるほどってなるんですが、人間の欲求ってそんなに単純じゃないですよね?
空腹であっても他人からの承認だったり自分自身の所属感みたいなものは満たされるわけで、必ずしも生理的欲求が満たされないと安全の欲求が満たされないってことってありませんもんね。
ただ、ケヴィン・ケリーの「5000日後の世界」で指摘されていますが、生理的欲求、安全の欲求といったものは、世界のどこの地域に住んでいようと共通するのではないかとありました。
例えば、Wi-Fi環境や公衆衛生といったもの。これって誰でも欲しくありませんか?
だから、ケヴィン・ケリーによれば、生理的欲求、安全の欲求は収斂していくのだとか。
しかし、上位に位置する自己実現欲求は人それぞれであるべきで、共通してこれが答えだ、みたいなものはないと。だから、自己実現欲求は分岐していくはずだと。
つまり、欲求によっては収斂し、分岐もすると。
ということで、こちらの記事を読んだわけです。
『もはや世代・年代は関係ない!? 同じ趣味趣向で繋がる“消齢化”の時代へ』
参考『消齢化社会』
なんか言っていることはよく分かるような、分からないような?
一つの概念として「消齢化」を提示したいのでしょうけれど、ちょっと無理があるかなぁといった印象です。
それって欲求の収斂が起こっているって話とどう違うのかが私にはよくわかりませんでした。
まあ、「ライフ・シフト」ではありませんが、長生きするようになって以前であれば考える必要がなかった、「私って何?」みたいな問いにつきまとわれるようになるので、そことどう向き合うかってところが課題だと思いますがね。
ただ、マーケティング的に煽っているだけのような気もしますけど個人的に・・・
ケヴィン・ケリー「5000日後の世界」
フィリップコトラー「コトラーのマーケティング5.0 」
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