コミュニケーションとは中身でもなく言い方でもなく


現代の企業は「コミュニケーション能力」を重視した採用を行う、らしい。随分前の話なので、しかも、本に載っていた話なので、実際今どうなっているかは分からない、を前提に書きますと(前置き長すぎ)、あのライザップの採用基準で最も重要なのが「人を不快にさせないこと」らしく、いくら技術が高くてもコミュニケーション能力が低いと採用されない、とのこと。

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コミュニケーション能力とは、「他者の思考を読み、動かす能力」で、非認知能力のひとつでもあり知性とほぼ同じ意味をもつことになるわけでございまして。

仕事は、人とコミュニケーション(意思疎通)をとって協力しなければ何の成果も生み出せないものであって、コミュニケーション上、同じことを言っても「受け入れられる場合」と「拒否される場面」が分かれ、成果にも違いが表れるのもまた事実であります。

いくら中身があっても、モノの言い方がまずければ相手は聞いてくれないし動いてもくれない。その意味するところは、「中身も大事だが、言い方も大事」ということ。

営業においては「相手の立場でモノを考える」という話もよく聞きますが、実際のところ他人の心理など読めるわけがなく、顔色をいくら伺ったところでモノの言い方が悪ければ相手にもされず。

ということで、以下はちょっとばかり表面的すぎるかなぁなんて思えてしまいます。


「ちょっといいですか?」より「そういえば」が効果的 仕事を「短くやる」ためのビジネス雑談の極意


結局、言い方とその中身でもなく、そして伝え方とかでもなく、どうやら人間というのは本質的にみな敬意をもってコミュニケーションしてもらうことを望むのではないかと。

というのが、長年営業をやってきて感じたことです。

ところが、この敬意をもって、という部分をいざ実践すると中々難しいのもこれまた事実であります。

例えば、

・礼儀正しくすること
・人の話しをよく聞くこと
・相手の立場で考えること
・言葉を選んで話すこと
・人の長所を見ること
・人のせいにしないこと


以上は、コミュニケーションには欠かせないものとされているようですが、これって出来ているようで出来ていないものです。

それもそうで、誤解があるのが、これらは訓練とか練習が必要であると考えている人が少ない。というかいないのではないかとすら思えるぐらい。

だから、上記を教わらずに天然でやってしまっているような営業マンは成績が良かったりもする。あまりいないけど。

訓練、練習といっても誰かと競って一番になる必要はないので、ただ練習すればいいだけの話。

ということでコミュニケーション能力って意外なところに本質があるかもよって話でした。





マルクス・ガブリエル「わかりあえない他者と生きる」




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