相手に期待するよりも自分を見直す
先日、私の会社の経営者とある社員の働き方について話をしていた際に、経営者が事あるごとに「〇〇さん(社員名前)は勉強が足りない」と言っていたのが非常に印象的でした。と同時に、なんとなくの違和感も覚えました。
人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
ご存じのように国の政策の一環であることは言うまでもありませんが、世間では何かとリスキリング(学び直し)がニュースになっています。
端的に仕事で通用するために(成果を出すためとも)、ということであると私は捉えています。
しかしながら、ただ勉強をするだけで通用し、成果が出ることは非情に稀なケースではないかと想像します。つまりは、何を勉強するかによって何もかもが変わってきます。
勉強した結果どのように行動が変わるかがポイントとなり、その行動が悪いものとなれば勉強は害悪以外の何物でもありません。
少なくとも小中高では、勉強する内容が用意されています。勉強という言葉は同じでも大人、社会人の勉強となると言葉は同じでもその意味するところは大きく変わります。
そもそも勉強すること自体が難しいものです。いや、合わない人もいるという感じでしょうか。
冒頭の経営者の「勉強が足りない」発言ですが、間違いなく経営者の考える勉強の内容とその社員の考える勉強の内容は大きくずれていて、社員からすると勉強をする動機付けが全くないわけです。
実際、仕事をすると通用するしない、何が足りないなどを考えるようになり、そこを埋めようとする人とそうでない人に分かれるのではないかと思います。
私の会社の経営者は、埋めようとする、というか期待を込めて勉強してくれるはずで発言しているのでしょうけれど、そんな都合よく社員が自ら進んで勉強をするケースなどあり得ません。
何かしらの切っ掛け、というよりもインセンティブが働かなければ、自らの貴重な時間を費やし勉強をすることなど誰がするでしょうか?
社員に勉強を促すよりも、日々の仕事の成果をどのような形で報告するかといった仕事の”させ方”を見直した方がお互いに不幸にならなくて済むのではないだろうか。
と、違和感を覚えたという話でした。
リンダ・グラットン「リデザイン・ワーク 新しい働き方」
マイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
コメント