学習できるものとできないもの
今までもそうであったようにこれからもそうであると思うのが、仕事の在り方や求められるスキルが変化していくということ。営業マンでも求められる仕事の内容はこれからも変化していくだろうし、そもそも営業という仕事の立ち位置も変化する。
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時代の流れとは残酷なもので、通用していたものが通用しなくなることが山ほどあるわけで。それが突然なのかどうかは別として通用しなくなるという事実がある。
通用しない方法を採用し続けることは論外として、通用するために何かしら探っていくものです。ただ、ここで注意したいのが、他人の成功例や意見といったもの(もちろん参考にさせて頂きます)。
通用しないならば通用するようにもっていくしかなく、そのもっていきかたはホント人それぞれだと思いますし、そこに正解があれば誰か教えて欲しいものです。
どうすればいいかは誰にも分からないので、結局は自分でどうにかするしかなく、会社からも何か特別なものがあるわけでもない。
そこで、前々回のエントリーでもあったように、一つの方法論として「勉強」を取り上げました。
その時のエントリーでも書きましたが、そもそも勉強すること自体が難しく、合わない人もいるわけで、社員に勉強を促すこと自体が的外れではないのかと。
だからこそ、会社側の仕事の向き合わせ方を見直すべきだろうと思ったわけですが・・・
ただ、勉強が合う・合わない、といったものは私の肌感覚というか、別に特別な根拠などありません。
ところが、行動遺伝学の研究から「勤勉さ」「外向性」「開拓性」「神経質」「同調性」などの個性(パーソナリティ)は、遺伝による性質で、学習によって変えられるものではない、ということが分かってきているとか。
そこには前後左右、背景に至る話が沢山あるわけで、上記をそのまま切り取るとロクなことにはならないのですが、それでもどうやら「勤勉さ」自体を学習することは難しいらしく、持って生まれたものだとういうのです。
前回のエントリーで触れましたが、学びの必要性を多少は感じている人がいるのは、それはそもそも勤勉性を持ち合わせているだけの話なのかもしれません。
そうなってくると、企業側の採用の在り方も変わってくるでしょうし、仕事が上記で触れたパーソナリティに左右されないようなものにしなくてはならないのだろうと思います。
ということは、自分のパーソナリティに合わない仕事は地獄でしかないということなのでしょうか?
リンダ・グラットン「リデザイン・ワーク 新しい働き方」
マイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
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