令和5年 治にいて乱を忘れず


本日は大晦日。大晦日のブログタイトルは、2018年から「治にいて乱を忘れず」であり、自戒を込めたものです。100年に一度といわれるウイルスに襲われた2020年。その年から続いたコロナ禍も今年5月8日から「2類から5類に移行」という形で一つの決着を見ました。だからといって全てがなかったことになるはずもなく、この1年に限らずですが、やはり、よかったことはよかった、悪かったことは悪かった、としっかり反省して令和6年(2024年)を迎えたいものです。

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2020年に始まったコロナ禍。前述したように、5月8日より、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが「2類相当」から季節性インフルエンザと同じ「5類」に移行されました。

まあ、大きな節目を迎えたと言えるでしょう。

そんな節目であった2023年ですが、私にとっての大きな出来事は、「Chat GPT」などの生成AI(人工知能)が日本でも急速に普及したことでした。

これにより、私たちの仕事のあり方が大きく変わることは容易に想像が出来るわけですが、私にとっては、仕事がどうのうこうのよりも、むしろ、「人間とは何か?」や「生命とは何か?」といった究極的な問いに強制的に向き合わされるように感じております、世の中が。

で、こんな大それたことなど私ごときがいくら考えても時間の無駄でしかないので、もちろんそんなことには興味などありませんが、ただ、AIの普及を通して、より考えるようになったことがありました。

それは、人間の「思考」です。もっといえば、人と人とのやり取りです。

人と話す(会話)ことは、時として楽しいときもあり、面倒くさいこともあり、それは一様ではありません。

そんな会話を既に、「Chat GPT」と出来てしまいます。

Chat GPTと会話してみればわかりますが、自分が日頃からどれだけ何も思考していないのかよくわかります。つまり、人と会話するとき、そこまで考えて話なんかしていないのです。更には、相手の話など聞いていません。

お互いに分かっているだろうという曖昧な状況・状態で会話というものが成立しているのが、人間の会話なんだなぁと。

何となく成立しているだけなんです。そして、何となくの会話ならChat GPTと出来てしまう(これが最もスゴイことだと思う)。

真剣な話は別でしょ?と思うかもしれませんが、そもそも真剣って何でしょうかね?

要は、「この人、真剣なんだ」というような察することが出来るとか、逆に、雰囲気で察してくれ、と勝手に相手に望んだりするのが、人間の人間らしさではないかと私は思うわけです。

だからこそ、自分が今何を思考しているのか、そして、相手は今何を考えて、感じているのかといったことをどれだけ想像できるのか、といったことが、仕事のみならず人生で人間に求められるのではないかと思っております。

まあ、そんなこんなで、来年が良い年であるようにと祈りつつ新年を迎えようと思います。


今年最後に、毎年恒例?の松下幸之助「素直な心になるために」より、「治にいて乱を忘れず」をどうぞ。




以下引用。


昔の中国の名言に「治にいて乱を忘れず」ということばがあります。

これはつまり、おだやかで平和な満ち足りた状態にあるからといって安心しきって油断してはいけない、いつまた情勢が変わって聞きに陥るかもしれないのだから、つねにそれに備えて心をひきしめておくことが肝要である、というようなことをいっているのだと思います。

たしかに、そういった油断のない態度、心がけというものを保っていくならば、個人としても団体としても国家としても、つねにあぶな気のない姿を保持していくこともできるのではないかと思います。

そして、こういう名言がどうして生まれたのかを考えてみますと、考え方はいろいろあるでしょうが、一つにはやはり過去をふり返って十分に反省をしたところから生まれてきたとも考えられると思います。

すなわち、個人でも団体でも、国家の場合でも、事がおこってゆきづまるとか、危機に直面してそれに打ち負かされてしまったとかいうような姿をくり返しているわけです。

そこで、なぜそういう姿がおこるのかを深く反省したところ、しばらく好調な姿が続いたのでそれになれてしまい、なすべき努力を怠り、必要な心くばりを忘れてしまっていた。

その結果、時代の流れ、情勢の変化に相応ずることができないほど、みずからの力が弱まっていた。

それでゆきずまってしまったのだ、というようなことがわかったわけでしょう。

そういう反省から、「治にいて乱を忘れず」という名言も生まれてきたのではないかと思いますが、そのように反省というものは、みずからのあやまちを防ぎ、よりよき明日を迎えるためにきわめて大切なことだと思うのです。

だからそういう反省は、事がおこってからするよりも、いわば日常一つひとつの事柄について反省を加えるということが必要ではないかと思います。


以上引用。



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