常識は世代によって全然違う


科学と技術の進歩によって世の中は変わっていきます。iPhoneが初
めて米国で発売されたのが、2007年のことです。わずか10年ちょっ
とで、世の中の流れが大きく変わりました。もちろん常識さえも。


10年前に「歩きスマホ」を予測できた人が果たして何人いるでしょ
うか?

欲望あるいは「人間の考え」といった抽象的な概念が世の中のみな
らず歴史も動かしているとも言えます。

日本の歴史教育を見ると、英雄物語のように感じられる部分が多々
あるのですが、歴史とは英雄物語でありません。

経済の側面、即ち需要と供給という観点から歴史を見ると、全く見
え方は変わってくる
し、教えられた歴史の内容とは程遠い内容であ
るような気がします。

では、「科学」と「技術」の歴史とは何なのか?

つまりは、「産業革命」に違いありません。

第一次産業革命 18世紀 蒸気機関による機械化
第二次産業革命 19世紀 電力の産業への利用
第三次産業革命 20世紀 インターネットの製造工程へ応用


現代日本(戦後)においては、第二次産業革命の恩恵または影響に
よるところが大きいわけです。

興味深いのは、産業革命によってもたらされる「技術」の“広まる
早さ”がドンドン早くなっているということです。


カッコよく言えば「科学技術のエクスポネンシャルな進化」でしょ
うか!?(ちょっと違うような・・・)

つまり、テクノロジーの進歩するスピードがこれまでと違い、更に
広まるスピードも違うのです。

第二次産業革命で得られた技術が世界的に広まるスピードが、100
年位かかっているとして、第三次産業革命は、わずか20年あまりで
広まった感じがあります。


第三次産業革命の象徴的なものとして「Windows95」(1995年)で
すが、iPhoneの登場が2007年です。

つまり、パソコンからスマートフォンへの流れです。

今生まれた子供たちは、パソコンを経験することなく、いきなり、
スマートフォンに触れることになるわけです。


佐藤航陽さんの「お金2.0」の中で印象的な内容があります。

以下に引用します。

『イギリスの作家ダグラス・アダムスが生前に面白し言葉を残して
います。

人間は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを、自
然な世界の一部と感じる。
15歳から35歳の間に発明されたテクノロ
ジーは、新しくエキサイティングなものと感じられ、35歳以降にな
って発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる


私たちの脳は一度常識が出来上がってしまうとその枠組みの中で物
事を考えたり判断するようになってしまい、新しく誕生した技術な
どをバイアスなしに見ることが難しいのです。


世代によってスマートフォンを、どのように捉えたり、扱っていく
かは、違うというわけです。

もっと言えば、常識は世代によって全然違うということです。

若い世代がスマホばかり触ることに上の世代は、疑問を持つかもし
れないが、生まれた時にスマホが存在する彼らからしたら、海や川
や山で遊ぶことと、スマホを触ることは同じなのかもしれません。

スマホを自然に反するものとしか感じられない親御さんからしてみ
れば、「スマホばかり触って」と憂う気持ちも分からないわけでは
ありません。

もちろん私は、憂う親御さん世代ですが・・・


佐藤航陽さん「お金2.0」

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)



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