劣等感と劣等コンプレックス
もの凄い能力を身につけている人(私にとっては楽器の演奏が滅茶
苦茶上手い人)や下世話ですが大金持ちを見ては、「どうせ自分な
んかには・・・」と思うのか「同じ人間なんだから自分もやってみ
よう」と思うのか、一歩の差で出てくる答えが全く違ってきます。
ただ残念なことに、多くの能力のある人の足を引っ張ることで満足
して終わる人が多いのも事実かなと思います。
能力ある人の足を引っ張ったところで、自分の能力が高くなるわけ
でもないのに、何故そのようなことになってしまうのか?
その正体は「コンプレックス」だと思うのです。ただ一口にコンプ
レックスといっても、解釈が色々です。
劣等感ともコンプレックスとも言いますよね!?でも、具体的に日
常生活でわけて考えている人はそういないと思います。
劣等感は、主観的なものであって、これ自体は悪いものではないの
です。
劣等感がない人なんていません。ただ、それを本人がどのように受
け取るかで状況は変わってきます。
劣等感の健全な受け取り方は、自分の現在の実力を正確に理解して、
しかるべき努力することです。
劣等感は、自分の理想や願望があるからこそ抱くものだし、だから
こそ、逃げるのではなくて、劣等感を持つことを前向きにとらえて、
自分を成長させていくべきなのです。
堀江貴文さん曰く「自分を成長させるためのエンジンが劣等感であ
ると思考を変えていくのが賢い生き方」とも言っています。(この
考えかたこそ賢い)
要は、考え方ひとつなのだということです。
では、不健全な受け取り方は、何でしょう?
それは、自分を満たすための言い訳にすることです。
この場合、劣等感というより劣等コンプレックスとなります。
一般的に「コンプレックス」を使う場合は、上記になります。
自分を正当化するために使っていくものが、劣等コンプレックス。
劣等感を健全な受け止め方をすれば、出来なかったことが出来るよ
うになり、自分自身もどんどん成長していきます。
正当な努力で得られた結果であり、素晴らしいものです。
一方、劣等コンプレックスを抱くと、何が得られるのでしょうか?
抱いたところで、何もなければ誰も抱きません。
自分を正当化したり、言い訳することで、実は、それなりの見返り
があるのです。
その見返りとは、他人から注目されることです(承認欲求)。
自分のダメさに同情してもらうことで注目を浴びようとしているだ
けなのです。
人間には「欲」があります。欲の満たし方が人それぞれなのです。
その欲は、承認欲求であり、他人からよく見られたいとか、よく思
われたい。つまり、注目して欲しいわけです。
出来る自分であろうが、出来ない自分であろうが、他人から認めて
もらいたい人は、付き合っていて結構面倒くさいもんです。
こういう人は、自分に自信がありません。
特徴を言うと、知ったかぶり、威張る、見栄を張る。逆に、力のあ
る人間にはゴマをする。
口癖が「私の知っている人で・・・」です。
何故か、知り合いが滅茶苦茶多いです。
正当な努力を嫌います。出来ないものを出来る方法があるとすれば、
それは、出来るように毎日コツコツ淡々と取り組むしかありません。
劣等感は自分を成長させるエンジンです。
劣等感と劣等コンプレックスについて、もっと詳しく知りたい方は、
岸見一郎さん古賀史健さん「嫌われる勇気」をお勧めします。
岸見一郎さん古賀史健さん「嫌われる勇気」
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