アンスクーリング


アメリカでは、既存の教育システムにとらわれることのない、新し
い潮流が生まれています。それが学校教育の外で「いまを生きる」
アンスクーリング。これは、大人が子どもの教育をせず、子ども自
身が興味を持ったことを大事にする方法であり、子どもが探求する
手助けを、大人がするという新しい学び方のスタイルだという。


ということで、本日は「アンスクーリング」について。

これは、伊藤穣一さんの「教養としてのテクノロジー」より紹介さ
せて頂きます。




現在の教育は、将来の就職やキャリアのためだけに、子どもを勉強
させるシステム
になっています。

日本の場合、これまで義務教育が担ってきた役割は、産業革命後の
初期であれば工場労働者を輩出するためであり、産業が軍事のため
に子どもを育てるという目的がありました。

産業や軍事のなかに入って仕事をさせるには、誰もが同じ知識を持
ち、グループの規律や服従を学ぶことが必要だったのです。

続けて登場したのが、いわゆる会社で働くホワイトカラーの養成で
す。

日本のエリート教育は、一部の労働者を管理する人間に育てますが、
基本的には言われたことに疑問を持たず、なるべく皆と同じような
思考を持つ「入れ替え可能なお利口さん」を育てるシステムです。

これまでの「労働」がAIやロボットに置き換えられ、国を超えた競
争が激しくなる時代に、このような教育システムでは必要な人材が
育ちません



ということで、この硬直した教育システムを変える動きが、今回の
ブログのテーマである「アンスクーリング」です。


教育の問題を解決するには、そもそも私たちの価値観を変え、「教
育」という概念そのものを見定めなければなりません。


それでは、以下に、アメリカで起こりつつある「アンスクーリング」
という新たなムーブメントを紹介していきます。

この「アンスクーリング」とは、いままでの「教育」に代わる「子
どもの育て方」を実践する活動です。


伊藤穣一さん「教養としてのテクノロジー」より

以下に引用します。


アンスクーリングは、日本語に訳せば「非学校教育」という意味に
なるでしょうか。

その名の通り、学校教育に頼らず、学校そのものが一切存在しない
かのように子どもを育てるのが「アンスクーラー」と呼ばれるコミ
ュニティです。

アンスクーラーになる家族にはいろいろな理由がありますが、共通
するのは大人が子どもの教育をしないという点です。

子どもたち自身が興味を持ったことを探求するため、大人が手助け
をするのがアンスクーリングです。

子どもたちはそのアンスクーラーのコミュニティで暮らすのです。

アンスクーリングには、「セルフディレクテット・ラーニング(自
発的な学習)」という哲学があります。

その哲学のもと、子どもが何を学びたいかをすべて自分で決めて、
どのように学ぶかも決めます


すべて自分で決めるというアイデアです。


(中略)


「教育」そのものの枠組みから完全に飛び出して、「生きる」と
「学ぶ」の2つが同じものであるという解釈のうえで、子ども自身
 に「自分の生きがい」を定義させるのがアンスクーリングなのです



以上引用。


昨日、「好奇心をもって没頭する」のタイトルでブログを書きまし
た。

英語のスタディ(study)は、ラテン語のストゥディウム(studium)に由
来しています。

その意味は「好奇心をもって没頭する」ということ。

これは「勉強だけでなく、仕事や人生においても大切なこと」です。

実際の教育現場、とくに学校教育において、必ずしも、「好奇心を
もって没頭する」ような行動をとらせるような教育になっているか
どうかは、いささか疑問です。

やはり、好奇心を持たせたり、没頭させることよりも、「入れ替え
可能なお利口さん」を育てる教育になっているのは否めません。


時代の移り変わり、テクノロジーの進歩により、グローバルは、も
はや避けられない
わけで、ならば、教育システムを見直す流れは、
むしろ自然の流れでもあると感じます。


以下のニュースは、ご存知でしょうか?

学校へスマホ持ち込み禁止の指針、文科省が見直しへ

柴山昌彦文部科学相は19日の会見で、携帯電話やスマートフォン
について「小中学校は持ち込みを原則禁止」「高校は校内での使用
を禁止」という指針を見直す方針を明らかにした。

大阪府が18日に公表した、災害時の対応などを考慮して持ち込み
を認める案についての考えを聞かれ、答えた。文科省は教職員や保
護者の意見を聴き、来年度中にも新たな指針をつくる。(後略)


スマホ禁止は、単なる大人の言い分でしかありません。

これからの時代を考えれば、スマホを扱えないことの方が、はるか
にリスクがあるわけです。

私は、パソコンを経てスマホの世代ですが、今から生まれてくる子
どは、生まれながらにスマホが存在するのです。

大人は、その事実を認識しなければなりません。

生まれながらに、スマホがある世の中を生きる子どもたちを、生ま
れたときに、パソコンすらなかった世代が、今のこどもの将来を決
めれるわけがありません


好奇心をもって没頭する力こそが、これからの時代に求められ
る能力であると、私は確信しています


アンスクーリングの流れは、楽しみでもあり羨ましくもあります。


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