感情には隠された目的がある
アルフレッド・アドラーは「すべての行動には(本人も無自覚な)
目的がある」と言いました。これをアドラー心理学では「目的論」
と呼びます。そして、「感情が人を突き動かす」のではなく、人は
目的のために「感情を使用する」と言いまいた。これを「使用の心
理学」といいます。
ということで、本日は「アルフレッド・アドラー人生に革命が起き
る100の言葉」より、「感情には隠された目的がある」について取
り上げます。
人間には、「喜怒哀楽」といった感情があります。
アドラーは、人間は時として感情をうまく“使い分けている”とい
います。
ですが、本人ですら無自覚に。
とくに私が印象的だったのが、「意識と無意識」についてです。
フロイトを中心とする古い心理学では意識と無意識を明確に区別し
ました。
そして、意識と無意識が矛盾し葛藤することで様々な神経症的症状
が現れると考えました。
しかし、アドラーは、その考え方を否定しています。
意識と無意識は矛盾しているように見える場合でさえも、同じ一つ
の目的に向かって統一的に相互に補うように働いている、と言いま
した。
それはあたかも、アクセルとブレーキのような関係です。
一見、矛盾するよに見えながら、一つの車として目的地へ向かうた
めに、どちらも必要な働きとして助け合っているのです。
アドラーはこれを分割できない統一体という意味で「全体論」と呼
びました。
そして、「意識と無意識」「理性と感情」などのように、対立する
要素に分ける考え方をアドラーは明確に否定しました。
これは一つであり、一見矛盾するように見えたとしても、それは同
じ目標達成に向けて相互に補い合っているだけである、と言ったの
です。
では、なぜ私たちは「意識と無意識」や「理性と感情」をわざわざ
引き合いに出すのでしょうか?
アドラーは、それこそが自分や他者に対する言い訳である、と言い
ました。
「責任を取りたくない」「敗北を認めたくない」「良心の呵責」を
包み隠すため、「自分は悪くない。無意識と欲望が悪いのだ」と言
い訳し、自分と他者を欺きたいだけなのです。
「無意識にやってしまった・・・」「理性が欲望に負けて・・・」
とは、自分や相手を欺くための「言い訳」でしかない。
感情は、時として、自分を突き動かすためのアクセルのようであり、
時として、自分を止めるブレーキのようなものなのです。
アクセルを踏むか、ブレーキを踏むか。
それは自分自身が決めています。
その気持ちを後押しするために感情を創り出し「使用する」ことで、
自分や他人を動かすのです。
決して先に感情があり、感情に支配されたのではないのです。
感情に支配されるのではなく、うまく感情を利用すればいいのです。
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