判断する基準とは何か?


人の判断能力なんてものは、非常に曖昧なものです。とはいうもの
の、判断する基準みたいなものは上げていくことは大事な事です。
では、その基準を上げていくにはどうすればいいのでしょうか?


決断する前には、必ず判断が必要です。

ならば、判断の前には何が必要なのでしょうか?


それは、「把握」です

つまり、流れとしては、

  「把握」 ⇒ 「判断」 ⇒ 「決断」

となります。これは、非常に大事な流れです。


判断の前に把握が出来ていない人が多すぎです。

大体が、整理整頓出来ない人は、把握が出来ていません。

美容室の状態を見たり、その人の話す内容や話し方を聞けば、把握
する力が分かります。

それから、これは“理解”とは異なります。

把握するときには、理解はする必要はありません。理解しているか
理解していないかを把握すればいいのです。


ですから、物事の徹底的な把握ができれば、自然と何をやるべきか、
どうのように判断すべきかは、朧げながら見えてきます


把握をするということは

  ・何が問題なのか
  ・何が重要なのか

これを掴むことになります。この部分がもう既に判断とも言えます。



判断するときにやりがちなのが、過去にやった事があることだった
り、またそれが嫌いだったりして、判断することです。

これはやってはいけません。



判断が難しかったりするのは、結局は「迷い」だったりします

この「迷い」が判断を狂わせていきます


人間というものは、目先の事しか見えなかったりします。

しかも、一旦、決意したものでもスグにヤメてしまうものです。

自分の感情に振り回されて、表面上しか見ない人が殆どだというこ
とです。

この感情で判断することを、習慣つまり“クセ”といいます


考えて判断しているようですが、実は“クセ”で判断しているだけ
なのです。

だから、上に書いたように感情に振り回されないとか嫌いで見るな
とか書いているわけです。


良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、全て抜きにして判断せねば
なりません



これに更に付け加えると、判断するために

今は有るがこれからは無くなる」「今は無いがこれからは有る

という考え方を持つ事です。

このような考え方を持ち合わせて、やっと判断をするのです。


私に言わせれば、決断をするのは誰でもできますが、判断を下すこ
とは簡単ではありません。

判断する基準が自分のクセ(習慣)にならないようにしなければな
りません。それはまさに日頃の取り組みなのです



以上は、自分を伸ばすために絶対的に必要な考え方です。



把握や判断の部分を戦略という言葉に置き換えて、しっかりと書か
れているのが、中野信子さんの「努力不要論」です。





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