文句は誰に言えばいいのか
アセリとは「スグ良くなりたい」から生じるものです。自分の立つ
位置がまったく見えてないからアセッテしまうのです。伸びたいの
なら、じっくりと腰を据えてやっていくしかありません。ですから、
色んな事を教わってもこのアセリがあるうちは何も身に付いてはい
かないでしょう。
教わったことを行動に移すこと、つまり実践する人はかなり少数。
何故実践しないのかと言えば、アセリと同じで「スグに良くなりた
い」からです。
最大の敵は何かというと、それは日常であり習慣(クセ)。
日常と(悪い)習慣を自力で破らなければ意味がありません。
結局、伸びようと思えば、今以上になる必要があるわけで。
今以上とは、変化することであり、伸びようと思った分だけ変化も
出来ます。
美容室で勉強会をやっていて最大の課題は、いかに実践させるか。
裏返すと、とにかく教わった事を中々実践しません。
これは何も美容室だからという意味ではありません。
得てして教わる側というのは、一から百まで、手取り足取り“教え
てくれ”の状態になりがちです。
実際に教えてもらってばかりいると、人は何も考えなくなります。
よく言う、思考停止状態。
それどころか教わってばかりいると、教わるだけで伸びると錯覚し
てしまいます。
そして、その錯覚により、「自分はこれだけやっているのに」と教
える人間に文句を言い出します。
実践せず文句を言わない人間は、勉強会に参加しなくなります。
“これだけやっている”というのは、勉強会に参加しているだけな
のですが、これをやっていると錯覚してしまいます。
勉強会に参加しなくなるのは、(もちろんこちらの力不足は認めた
上で)何か上手い方法でも教えてもらおうと考えていただけ。
文句言うのも、錯覚するのも、参加しなくなるのも、すべては、教
わったこをを実践していないから。
文句を言うなら、本来は自分の実践の出来なさに言うべきです。
出来ない、やらない、やりたくない理由を他人に言うのではなく、
いかに自分自身に言えるか。
この自分に言えないことを習慣といいます(心グセともいう)。
この習慣を変えない限り、何も変わりません。
手取り足取り教えてもらうのは勉強の本質ではありません。
自分から能動的に真正面から課題に取り組み、試行錯誤を繰り返す。
実践こそが勉強であり学びだと私は思うのです。
「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」
「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ」
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