ヤレナイ・ヤラナイ
物事を出来る理由から考える人もいれば、出来ない理由ばかり並べ
る人もいます。出来る可能性を追求するのか?それとも出来ない理
由を並べて自分を正当化させるのか?
「ヤレナイ」のかそれとも「ヤラナイ」のか?
ヤレナイと言いながらヤラナイだけってありませんか?
失敗する(している)人の考え方として、ヤレナイ(実際はヤラナ
イ)理由を並べ立てます。
もっと言えば、ヤラナイでいいように自分を正当化していきます。
この場合、言葉や話し方にその人が顕れます。
例えば、「○○はダメだと分かってはいるんですけど・・・」
「自分は○○だからダメなんです・・・」
正当化というか逃げというか、言い訳ばっかりです。
結局、“ダメ”から物事に入っているだけ。
ヤレナイのではなくて、ヤラナイと自分で決めている。
ダメからは何も生まれません。
ダメと思った瞬間にダメは決定します。
自分がダメだと思った瞬間からダメになります。
何故ならば、考えることも行動することもしなくなるから。
可能性の中に生きる人
ランニングしている人をよく見かけます。
走る理由は、人それぞれでしょう。
健康管理、体力強化、練習等々。
市民ランナーや趣味でマラソンを走る人も多いと聞きます。
その中でも人によっては、十分に練習や準備をしてから大会に備え
る人もいれば、いきなり走る人もいるでしょう。
この準備に時間をかける人の事を私は「可能性の中に生きる人」と
呼んでいます。
どういうことかと言うと、実際に走らないから、自分の真の実力が
悪い意味で分からない。
可能性の中に生きる人は、自分の実力が分かってはダメなのです。
なぜならば、自分の真の実力が分かって可能性がなくなるからです。
こういう人は、とかく自分を過大評価しすぎる。
ありのままの自分を受け入れることができない。
「ヤレナイ・ヤラナイ・可能性の中に生きる」もすべて同じ理由で、
ありのままの自分、今の自分を受け入れることができないだけです。
不思議な事に、この状況を選んだのも他でもない“自分自身”なの
です。
「ヤレナイ・ヤラナイ・可能性の中に生きる」つまり、その状態か
ら変わらない方が、自分にとっては都合がいいということ。
もっと言えば、人は、いろいろと不満はあったとしても、「このま
まの自分」でいることのほうが楽であり、安心なのです。
「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」
「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ」
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