ブログ毎日更新一年経過


早いもので昨年の9月10日から昨日まで、ブログを毎日更新するこ
とができていました。ブログを毎日更新するのはハッキリ言って、
かなり面倒な作業でしかありません。


その面倒な事をあえてヤルことに意味があります

というか意味を持たせています


ほとんどの人が、やってみる前から、何か意味があること、言い換
えれば、タメになる、いや、もっと言えば、儲かりそうなことをや
ろうとします



まあ、これは至極当然であり、人間は、自分の利益になる行動をと
るものです。


だからこそ、自分の利益ばかりではなくて、相手の利益を考えたり、
相手を喜ばせたりする人に、人は魅せられるもの
だと思います。


ブログなんて書く必要なんてまったく無いと思います。

変なこと言うようですが・・・


SNSを見ていたり、書店に行くと、今はとにかく、「自分の好きを
仕事にする」的なものが溢れかえっています。


終身雇用の限界だったり、ブラック企業、ブラック労働、リストラ
の問題が取り上げられ、どのような形でこれからは働くべきなのか
を問われる時代だとも思います。


形と書きましたが、実は中身の問題ですね。


働く人の中身の問題です。


我々の周りにある環境は日々変化しています。

環境の変化に合わせながら、大事なのは中身も変化させていくこと
だと、最近ではつくづく痛感します。


私は、今46歳なのですが、50歳という年齢が現実に見えてきて、こ
れからもこんな感じなのかな、なんて思ったりするときもあります。


ですが、自分の親を初め、自分の上の世代の人間からすると、まだ
まだ40代でしょっ!?ていう感じでしょうか。


結局は、自分とうい人間に正面から向き合い、自分のすべてを受け
入れ、日々努力していくしかない
のだと思います。



キリスト教社会で古くから口承されてきた「ニーバーの祈り」とい
うものがあります。


神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れ
 る落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違い
 を常に見分ける知恵とをさずけたまえ



私は、これに尽きると思うんですよね。


どうしても人間は、自分の力では変えることの出来ないものにスポ
ットを当てしまい、自分が本当にヤルベキ事から逃げようとするも
のです。


まあ、結局は、それが楽(ラク)なのかもしれませんが・・・


とはいえ、どんな些細な事でも、「あれやってみたいな」「あれや
ってみたかったけどな」というものはあるはずです。


自分の良い意味での欲望に蓋をすることなく、前向きに生きたい
のです。


そのためにも「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め
自分が変えることのできる物事を変える勇気を持ちたい



というようなことを思う、ブログ毎日更新一年経過でした。



ちなみに、「ニーバーの祈り」は、「嫌われる勇気 自己啓発の源
流「アドラー」の教え」から引用しました。





「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ」






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