学習の継続と意義


プラトーとスランプという言葉はご存知でしょうか?その言葉の意
味を辞書で調べてみると、
プラトー
(高原の意)技能の学習過程で、一時的に進歩が足踏みする状態。
学習曲線がこの時期に高原状となる。高原現象。
スランプ
(心・身について)一時的に調子が出なくなる状態。不調。不振。

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スランプといえば、プロスポーツ選手を連想してしまう私。

今回、プラトーという言葉を初めて知りました。


プラトー、スランプともに意味合いは同じようですが、その突破法
を多少違いがあるように思えます。


学問、楽器、商売、営業、スポーツ等々、それらすべてが思うよう
に、上達すれば誰も苦労はしません。


まあ、思うように上達しないからこそ、面白味があると思うのです
が、とは言え、誰だってラクに上達したいものです。


確立された練習方法なんてものは実際にはなくて、ましてや“これ
をやれば大丈夫”というものもありはしない。


物事の上達には、時間がかかり、しかも時間をかけたからといって
上達するとも限らない。

結局は、諦めずに、しぶとく、粘り強く、やるしかない。


試行錯誤、失敗、足掻くことを積み重ねていくしかない。

突破するには、積み重ねの連続しかありません。


学問、楽器、商売、営業、スポーツをひとつの学習と捉えると、本
日のブログタイトル「学習の継続と意義」こそが、プラトー、スラ
ンプの突破法となると私は考えています。



学習の継続と意義には、大きく二つに分かれます。


  ① 継続することにより自然に壁が破られる

  ② 破るべき所を破るまで行う



プラトーは、冒頭でも書きましたが、技能のレベルが一定の水準に
達することにより、もう一段階上のレベルアップまで、今まで以上
に難しくなり、一定期間そのレベルで停滞してしまう状態です。


超絶に簡単に言うと、突破するには、「継続」しかないということ
です。


「継続することにより自然に壁が破られる」というわけです。


ここでの落とし穴は、「ならば単純に続ければいいのか?」ってこ
とになります。


もちろん、継続すればいいのですが、「破るべき所を破るまで行う」
ということが重要なのです。


破るべき所や壁を避けてもまったく意味がありません。


その“壁”を乗り越えていこうとするところに“実力”がつきます。


人それぞれに、壁は異なります。


その壁を乗り越えようとしない人は、いつも同じ所をグルグル回っ
ているようなもの



美容室が伸びないのは、営業力を付けないからで、技術力をいくら
付けても意味がないのです。


御自慢の自分の技術を売るには、営業が不可欠なのです。


営業という壁を超えなければ、集客も上手くいかないし、失客も避
けられません。


そして、最も大切なことがあります。

それは、その壁の存在を「自分自身で気づく」ということです。



その壁を他人から指摘されても、絶対に乗り越えようとしません。


プラトー、スランプの突破法の本質は何かといえば、


目標の何故や意味を深めて、自らのお腹に落とした時であり、取り
組むべき事の重要性が認識出来て、それを実践した時なのです。



もっと分かりやすく書くと、「何のためにやるのかを改めて、ハッ
キリとさせること」であり、意味をどれだけ持たせられるかどうか。



学習の継続。継続するには、意義が必要だということです。




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