当たり前の事が当たり前に出来る


当たり前に出来る事が、当たり前に出来ない。この場合、何かに囚
われている場合がほとんどです。では、一体何に囚われているので
しょうか?それは、自分自身です。もっというと、“自分可愛い心”
というべきでしょうか。

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我社の社長から、商売の心得として教えてもらったことがあります。


成功とは、何か特別変わったことや奇抜な事をするのではなく、
 ごく当たり前の事を他人よりも効果的に行う



これは、商売に限らず、すべてのものに共通すると思います。

人は、早くよくなろうと焦って、つまりこれを“欲”といいますが、
得てして、変わったことや奇抜なことをやろうとします。


ですが、それで上手くいくケースはなく、あっても一瞬。


美容室でいうところのディーラー、メーカーにそそのかされてやる
キャンペーンがその良い例です。


単純に考えて、実力がある人間がキャンペーンをやるのと、実力の
ない人間がキャンペーンをやるのでは、どちらが上手くいくか?



当然ですが、実力のある人間ですね。

だから、まずは、実力を付けるしかない。

これこそが、「当たり前の事」になるのです。


こんな事を書いていたら、幻冬舎の編集者である箕輪厚介さんの以
下のツイートを思い出しました。





箕輪厚介さん「死ぬこと以外かすり傷」





単純に物事を上達させるには、日頃から努力するしかありません。

何も特別な方法があるわけではなく、淡々と努力するのみ。

一足飛びに実力が付くことはあり得ず、毎日少しずつ努力を積み重
ねるだけです。



そして、冒頭の話になるのですが、何かに囚われて、その人の力を
発揮出来ない、または出来ていないことがあります。


努力することは当たり前の事なのですが、何かに囚われて努力出来
ない、またはしない
ことがあります。


「自信がない」という人がいますが、自信を付ける行為、つまり努
力を日頃からやっていないのに、自信が持てるはずもなく。


努力もしていないのに「自信がない」という人ってほんと多い

努力していないと切り捨ててしまうのは、よくないのですが、当の
本人が、実は、努力していないことを自覚しています



ということは、努力を出来るとか努力することがいちばんの“力”
なのかもしれません



「誰でもやれば出来る」とは言いますが、そのやればをやらないの
ですから。


力がないというよりも、力を出せない(出さない)ということです。


何故、力を出せない(出さない)のかというと、何かに囚われてい
るから
です。


その何かは、「自分自身にブレーキをかけている」こと。


車にアクセルとブレーキがあるように、人間にもアクセルとブレー
キがあります。


「自信がない」と言う人ほど、最初から努力する量を自分で決めて
います


自分にかけているブレーキを外さない限り、前に進むことはありま
せん。


遊びたい、楽したい、休みたい、自分には無理、落ち込む、といっ
些細な囚われを捨てない限りは、当たり前の事を当たり前には出
来ない
ということです。



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