令和元年 治にいて乱を忘れず


令和元年 (平成31年)も今日で終わりです。この一年、よかったこ
とはよかった、悪かったことは悪かったと、しっかりと反省して、
新しい年(令和2年)を迎えたいものです。

人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。




さて、昨年の12月31日のエントリーのタイトルも「治にいて乱を忘
れず
」でした。

今回は、タイトルの前に「令和元年」を付け加えました。


12月31日は、一年の総決算であります。

来年の事は、来年考えるとして、今年最後の日には、やはり「反省
ではないかと



私だけかもしれませんが、何でもいいのですが物事をとりあえずは
やってみるものの、その後の「やった後、どうだったか」という反
省をなかなかやらないものです。


学生の頃、割と予習はする方でした。

でも、復習はあまりしませんでした。


復習は、理解できなかったところや、問題が解けなかったところ、
テストで間違ったところを中心にやるものです。

復習をしないということは、自分の弱点がどこかも分からず、弱点
をそのままにしておくこと
でもあります。

自分が、どこで躓き、どこを理解していないのかを明確にしなけれ
ば、先へ“歩”を進ませたとしても、また同じようなところで躓き、
理解もできない



つまり、前進しない。前進したつもり。


営業も同じで、営業で決まったならば、決まったで、なぜ決めるこ
とができたのか、決まらなかったならば、なぜ決まらなかったのか
を、考えなければなりません。本来は・・・


営業で成績が上がらない、支店の売上も伸びない、ならばどこかに
原因がある。


原因を追究せずに、色々とやってみても空回りするばかり

原因を追究するならば、反省は必須。


ですから、本日のエントリーのタイトルは、反省をしない自分の戒
めでもあります。


反省は、営業という仕事を通しても考えなければなりませんし、会
社経営も然りです。


状態が悪くなったときばかり考えるのではなく、状態が良いときこ
そ、気を引き締めていかなければなりません。

ですが、状態が悪いと嘆いていたところが、その悪い状態でも良か
ったのだと思えることもあります。


状態が良い悪いには関係なく、しっかりと日々反省しなければなり
ません。


そして、新しい年を迎えたいと思います。




松下幸之助さんの「素直な心になるために」の中で、「治にいて乱
を忘れず」は登場します。




以下引用。


日々の反省


私たちば、何か物事を行い、それに成功していくために大切なこと
の一つとして、反省ということがあげられます。

こういうことをしてみたいと考えて、それをやってみる。

そうすると、うまくいくこともあるでしょうし、そうでないときも
あると思います。

うまくいったらうまくいったで、どうしてうまくいったかを考えて
みる。

うまくいかなければ、どこにうまくいかない原因があったかを考え
てみる。

そのような反省をしては、その結果を次のときに生かして、失敗を
より少なくし、よりうまくいくようにしていくことが大切だと思い
ます。

そういう反省なしに、ただ何となくやっていたのでは、同じ失敗を
くり返したり、なかなかうまくいかないということになると思うの
です。

昔の中国の名言に「治にいて乱を忘れず」ということばがあります

これはつまり、おだやかで平和な満ち足りた状態にあるからといっ
て安心しきって油断してはいけない、いつまた情勢が変わって聞き
に陥るかもしれないのだから、つねにそれに備えて心をひきしめて
おくことが肝要である、というようなことをいっているのだと思い
ます。

たしかに、そういった油断のない態度、心がけというものを保って
いくならば、個人としても団体としても国家としても、つねにあぶ
な気のない姿を保持していくこともできるのではないかと思います。

そして、こういう名言がどうして生まれたのかを考えてみますと、
考え方はいろいろあるでしょうが、一つにはやはり過去をふり返っ
て十分に反省をしたところから生まれてきたとも考えられる
と思い
ます。

すなわち、個人でも団体でも、国家の場合でも、事がおこってゆく
づまるとか、危機に直面してそれに打ち負かされてしまったとかい
うような姿をくり返している
わけです。

そこで、なぜそういう姿がおこるのかを深く反省したところ、しば
らく好調な姿が続いたのでそれになれてしまい、なすべき努力を怠
り、必要な心くばりを忘れてしまっていた


その結果、時代の流れ、情勢の変化に相応ずることができないほど、
みずからの力が弱まっていた


それでゆきずまってしまったのだ、というようなことがわかったわ
けでしょう。

そういう反省から、「治にいて乱を忘れず」という名言も生まれて
きたのではないかと思いますが、そのように反省というものは、み
ずからのあやまちを防ぎ、よりよき明日を迎えるためにきわめて大
切なことだと思うのです


だからそういう反省は、事がおこってからするよりも、いわば日常
一つひとつの事柄について反省を加えるということが必要
ではない
かと思います


したがって、私たちが素直な心を養い高めていこうという場合も、
やはり日々反省してみることが大切なのではないでしょうか。

「今日一日自分は素直な心で人に接し、ものごとをやっただろうか。
あの時自分は、腹が立っていて、ついその怒りにとらわれていたの
ではないだろうか。ああいう意見をいったけれども、あの考えは少
しかたよっていなかっただろうか」そういったことをいろいろ反省
してみて、次の時には、なるべくそうならないように心がけていく
わけです。

もちろん、そうはいっても、全くとらわれのない素直な心になると
いうことは、なかなか一朝一夕にはできるものではないと思います。

「昨日は怒りにとらわれて、まちがったことをしてしまった。今日
はそういうことのないようにしょう」と思っても、実際の物事にあ
たると、同じような失敗をくり返してしまうこともたびたびあるで
しょう。

けれども、それをまた反省していくということを日々行い、そのこ
とを長い間にわたって続けていけば、やはりだんだんに素直な心が
養われ、よりとらわれの少ない物の見方なり行いができるようにな
ってくるのではないかと思います。

そういう意味で、毎日寝る前なら寝る前のひととき、今日一日自分
はどれだけ素直であったかを思い返してみるといったことを、それ
ぞれの生活の中でやっていってはどうかと思うのです



以上引用。



人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

コメント

非公開コメント