前提条件で何もかもが変わってくる


昨年10月の消費税増税により民需が激減した状況で、新型コロナウ
イルス感染症拡大を受けて日本では洒落にならない状況が続いてい
ます。洒落にならないのは経済で、その経済を持ち直すために政府
による対策、支援策が練られているようですが・・・

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消費税減税案、現金給付、商品券、貸付等々。

どの案がどのように今後進められるかは定かではありませんが、使
える支援策は躊躇なく使っていけばいいと思います。


ただこのような支援策というか対策は「本来ならばこうあるべき」
というものは採用されないのだろうと思います



もっといえば、自分の都合の良い対策が採用されることはあり得ま
せん。


現実に、新型コロナウイルスの影響で飲食業、観光業は大打撃を受
けています。


もちろん臨時休校、イベント自粛による被害も相当なものでしょう。


一刻も早い政府の対応を願うばかりですが、現実は残酷なものです


私もこのようにブログが書けるのも、今のところ消費増税や新型コ
ロナウイルスの影響が限定的で仕事も生活もいつものようにやれて
いるからです。


だからこそ経済対策や支援策に期待をすることなく、自分で出来る
取り組みを淡々とやるしかないのだと思う毎日です。


期待してしまうとどうしても“待ち”の姿勢になってしまいます。

それは表現としてはマイナスなのだと感じます。

期待していたものが起きればプラスかプラスマイナスゼロという感
じでしょうか?


期待せずに自ら切り開く姿勢であれば常にプラスでいられそうな気
がしています。

だから、プラスのところに期待もしていない支援策があったりする
と更にプラスになるみたいな(みたいなって言うな)。



日頃の姿勢というのは、何を前提条件としているかで大きく変わる
のだと思うのです



もちろん一刻も早く正常な毎日が戻ることを願うばかりですが、そ
の正常というものが果たしてホントにホントに正常なのかというこ
とです



ひょっとすると、今起こっている状況が自然的なのかもしれません

不安定こそが自然的といえばいいでしょうか!?


不安定なものを安定的に更には安心して暮らしていけるように、遥
か昔から人間は生きてきた
ような気がします。


経済ショック、自然災害、疫病、感染症といったものを乗り越えて、
今があるのだと最近はつくづく考えるようになりました。

その度に、多くの犠牲があり、それでも人間は立ち直り、知識と知
恵を獲得してきた



その象徴するものが現代においては、科学、医学、薬学なのかと思
います。



人間は、所詮一人では生きていけません

必ず助け合いが必要です


確かに自己責任の世の中なのでしょう

でもそれでいいのでしょうか?


自分でやれることは自分でやる。

出来ない人を出来る人が助ける。

他者への思いやりと連帯意識


今まさに人間が試されているのかもしれません


頑張ります。




本日の内容に共感された方は、以下の記事を是非読んでみて下さい。


『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏、 “新型コロナ
ウィルス”についてTIME誌に緊急寄稿!



この記事に対して私は以下のツイートをしました。







志村史夫さん「日本人の誇り「武士道」の教え」




「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」





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