負けはいつも論理で説明できる
江戸時代の武芸家である松浦静山は「勝ちに不思議の勝ちあり、負
けに不思議の負けなし」という言葉を残しました。これは、静山が、
自分の剣術書「剣談」に記した言葉です。この言葉は、今年2月に
亡くなられた野村克也氏が好んで用いたことでも有名です。
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この「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」につい
て、山口周さん「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」」の中で以下のような説
明、指摘をされています。
以下引用。
まず「勝ちに不思議の勝ちあり」という指摘について考えてみまし
ょう。
「不思議」というのはつまり、「論理で説明ができない」というこ
とです。
ですから「勝ちに不思議の勝ちあり」というのは、「論理でうまく
説明できない勝利がある」という指摘です。
なぜ勝てたのか、後から言語化して説明することができない、勝利
というのはそういうことがある、ということですね。
一方で「負けに不思議の負けなし」という指摘はつまり、「負けは
いつも論理で説明できる」ということです。
「論理で説明できる」ということはつまり、負けは常に、負けにつ
ながる論理的な要因があるということです。
これはつまり、論理的なエラーは常に、負けに直結する要因になる、
ということです。
以上引用。
コロナ禍においてありとあらゆる業界、業種が苦境に立たされてい
ます。
もちろん、私が携わる美容業界も厳しい状況です。
ただ、私からすると、昨年の消費税増税と今回のコロナ禍は、誰に
とっても条件は同じだと捉えています。
誰が一番大変で、どこが一番大変で、などの誰がとかどこがとかの、
「一番論」はないと思っています。
誰でもあろうとどこであろうと大変な思いをそれぞれにしています。
消費増税、コロナ禍以前から美容室を営業で回ると、必ず聞かれる
ことがあります。
それは、「他はどうですか?」という質問。
周りの美容室の動向が気になるのでしょう。当然と言えば当然です。
私からすると、その質問の答えとして相手が欲しいのが「どこも同
じですよ(あなたと同じように大変ですよ)」と分かっているので、
そう答えるようにしています。
では、実際はというと、それぞれに違います。
逆に言うと、同じなわけがありません。
もちろん、諸条件(ルールが分かりやすいでしょうか)は同じであ
っても、出てくる答えが一様だとは限りません。
何故なら、その諸条件で戦う“人”自体が異なるからです。
コロナ禍で美容室もヒマになっています。
とはいえ、辛い言い方をさせてもらうと、ヒマな状況はコロナ禍だ
からではないということです。
状況として、コロナ禍が原因でヒマと言えるだけです。
しかし、現実には、ヒマはヒマでもそこそこやれているお店の存在
もあるのです。
一体何が違うのでしょうか?
それこそが、本日引用した言葉「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに
不思議の負けなし」に他なりません。
2月、3月、4月、5月と気が付けば、四ヶ月余りがコロナ禍で過
ぎようとしています。
残酷な事に時間の経過は、人それぞれに同じです。
何か新しい取り組みであっても三ヵ月もあれば、ある程度の結果は
出てきます。
このコロナ禍であっても何かしら出来ることはあるはずです。
過ぎ去った時間は取り戻すことは出来ません。
ヒマだというお店は、コロナ禍以前と全く何も変わるところがあり
ません。
つまり、変化には変化で対応するモノが生き残るわけですから、周
りの変化、つまりお客の変化に対応できなければお店がヒマになる
のは目に見えています。
失客というのは、二通りあって、一つには、自分自身が変わるとき、
つまり成長しているときで、その変化にお客がついてこれないとき。
二つには、自分が変わらずともお客が変化するとき、言い換えれば、
愛想をつかされたときだということです。
自分自身の何かを変化、つまり成長させていかなければなりません。
その“何”を変化させればいいのか?
その何に気づけるのも実は、日頃の取り組みというか勉強をやって
いるかどうかだったりします。
変化に対応できる条件があるならば、それは勉強だと私は思います。
ですから、日頃から勉強していなから変化に対応できず、ヒマにな
っているというのが、「負けに不思議の負けなし」ということだと
私は思うのです。
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