コロナ禍を言い訳にしたツケは誰が取るのか
4月5月に比べると外回りの営業マンを目にする機会が増えたよう
な気がします(もちろんマスク着用)。長崎市に限った話なのです
が、感染者が増えだした7月の半ば頃から自粛(とくに高齢者)に再
び振れだしています。
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世の中を支配する空気感には逆らえません。
再び自粛です。
とはいえ、あくまでも自粛要請ですので、強制ではありません。
強制されているような空気感はありますが・・・
そんな中、私も外回りの営業マンですから、美容室に訪問しており
ます。
もちろん、新規飛び込み営業は、この状況では控えた方が身のため
会社のためかと思い、今は様子見といったところです。
新規は新規でも何度も足を運び、顔を覚えてもらい少し話のできる
ところには訪問するようにはしています。
そして、既存客ですが、幸いなことに、私が訪問することを拒否す
るところはありませんでした。
むしろ、周りの状況がよく分からないということで、色々と聞かれ
ることが多いのです。
実際に営業で回った感じを誰もが知りたいようです。
ですから、訪問しても営業することはなく、この状況をどのように
して乗り切るか、という話に終始します。
私が美容室に持っていくものは、コロナ禍対応の支援策等ばかりで
す。
実際に足を運ぶということは、私にしても美容室側にしても、お互
いにリスクでしかありません。
多くの、美容ディーラーの営業マンは、会社側からの要請で、電話
対応しているところが多かったようです。
いわゆるリモートワークでしょうか。
もちろん、私も電話もしますし、Zoomなるものも試したりしました。
ただそれらすべてがお互いの人間関係がある程度出来上がっている
ことが条件として使用できます。
そればかりを使っていると今までの信用の貯金のようなものを切り
崩すだけのような感じがしています。
ですから、コロナ禍が仮に収束したら、リモートワークを続ける
云々ではなく、その貯金をどのようにして取り戻していくかは問わ
れるところだと思います。
ましてや、コロナ禍での対応そのものが信用問題となるはずです。
コロナ禍で出来ること出来ないことを明確にする必要があります。
コロナ禍でも出来ることをサボってしまうと取り返しのつかないこ
とになるかもしれません。
会社を維持していくこと、お店を維持していくこと、これはコロナ
禍であろうがなかろうが命題です。
コロナ禍だからといって必要以上に特別視してしまうとどうなるか
をよくよく考える必要があります。
コロナ禍で美容室に訪問したときに、「相手から嫌がられた」とい
う営業マンがいました。
これってどういうことなのでしょう?
嫌がられた営業マンは、「コロナ禍だから」と済ませてしまってい
るように思います。
実はそんなことはありません。
コロナ禍であろうがなかろうが、この営業マンは嫌がられているの
です。しかも、それに気づかずにずっと訪問をしていただけです。
美容室側からするとコロナ禍をひとつの言い訳にすることが可能と
なります。
今まで言うに言えなかったことをこれ幸いとばかりに、「コロナ禍
なんで・・・すいません」という風にコロナ禍を言い訳にできるの
です。
これは絶対に起こることだと私は最初から考えていたので、自分が
担当している勉強会を断ってくるだろうな、と予想していました。
蓋を開けてみると、殆どが勉強会を中止するどころか、むしろやっ
て欲しいという声ばかりでした。
もちろん、全店ではありません。
そして、形だけで勉強会をやっているところには、私の方から逆に
コロナ禍を言い訳にして中止にしました。
もし本気で勉強会をやっているのなら、「いつから再開できますか」
ぐらいの事を聞いてくるはずですから(当然ながら聞かれませんで
したが・・・)。
何度も言いますが、コロナ禍で出来ることと出来ないことの区別を
ハッキリさせて、何でもかんでもコロナ禍を言い訳にして、日々の
営業をサボっているとどうなるかは火を見るよりも明らかです。
会社でもお店でも営業マンでも美容師でも、コロナ禍は誰にでも等
しく降りかかってきます。
しかし、それを誰かのせいにしても何も解決することはありません。
自分で出来ることは努力し、出来ないことは受け入れるしかありま
せん。
コロナ禍を言い訳にしたツケは必ず回ってきます。
そのツケを誰が取るのかをしっかりと冷静に見極めて考えて行動し
たいものです。
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