言葉を相手に意味あるものにするには
人に言葉を発する時に、自分の経験に基づいたり、実践して得られた考えに基づき言葉を使う人。また、「普通は」「常識では」というような見解で言葉を使う人がいると思います。もちろん、それは両極端の話ではなく、日常的には、まだら模様の言葉の使い方をするのが常だと思います。
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「ただ経験したことがある」では意味がなく、経験することで得られた結果がモノをいうのだと思います。
学問、仕事、営業、楽器、スポーツ、何でも構わないのですが、実際にある程度の結果を出している人から教わるのが上達の近道だと思います。
趣味とはいえ、ギターを弾いている私からすれば、相手がいくら「ギターを弾いている」といっても、ギターに関する事をいくらか話せば、実際の演奏を見ることなくどれだけ上手いかは簡単に想像できます。
ただ、自分よりも物凄く上手な人間の話である場合は、少しばかり違ってきます。
つまり、言っている意味がよくわからないからです。
結論から言うと、ギターであれば先生のお手本通りに実践することが出来れば上達するに決まっています。
シンプルに言えば、「言った(教わった)通りに行う」です。
ところが、上手いくいかないと嘆く人に限って、教わった通りにやろうとしません。
ちょっとやってみて少しでも躓けば、もうそこで終わり。
こういう人にお似合いなのが、評論家だと思っています。
ちょっと話が横道に逸れてしまいましたが、営業をしていると、こういう上手くいかないと嘆く人を相手にすることが多々あります。
そういう人に「言った通りにやってもらう」には一体どうしたらいいのでしょうか?
営業は、ある意味においては言葉を扱う仕事です。
その言葉によって相手を説得・納得させなければなりません。
とはいえ、言葉とは単なる道具にすぎません。
つまり、言葉を相手に意味あるものにするには、道具である言葉を扱うその人間の“心”がいかにあるべきかが問われるということです。
だからと言って、私は聖人君子を求めているわけではありません。
あくまでも冒頭にも書いたように、言葉に責任と実践が伴っているかどうかなのです。
発するその言葉に責任も取らず実践が伴わなければ、いくら言葉を飾り付けたりしても相手には何も伝わらず、空っぽさだけが、ただただ伝わっていくだけです。
責任と実践を伴う言葉を発する時、どれだけ淡々なように見えても自然と口調にしろ表情にしり熱を帯びてきます。
世の中には、その道その道に凄い人が沢山いて、その凄い人の言葉の説得力に私などが敵うはずもなく、ならばどうするかと言えば、それはつまり、“必死さ”がモノをいうのだと思います。
“必死さ”という覚悟とでもいえばいいのでしょうか。
そして、その必死さを得るには、日頃から「自分の頭で考えるクセ」があるかどうか。
いつも自分がやっていることについて考え、自分のやりたいことが明確に言えること。更には、それに基づき行動する。
自分で考え自分が決めたことに沿って行動すれば、自分の価値判断にも責任が持てる。
その結果がどうであれ、他人のせいになどしてはいけない。
それを繰り返すことで、知らず知らずのうちに自分の発する言葉にも責任と実践が伴い、相手の心に伝わっていくのです。
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「言葉の力」
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