世の中の民を済う経(すじみち)が経済というもの
国民全体が豊かになる「経世済民の国家」を実現する経済とは「経世済民」、つまり「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」こと。経済は本来「国民を豊かにする政策」のためにあるべきです。(「新」経世済民新聞より)
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2019年5月24日のエントリー「経世済民」でも上記を取り上げています。
「経世済民」というあまり馴染みのない言葉ですが、私の場合はというと、うちの会社の社長から教えてもらったこともあり割と馴染みのある言葉ではありました。
「経世済民」の前に、まずは、「経営」とは何か、からスタートします。
経営の「経」とは、「すじみち」と読み、その意味するところは、「自分を含め周りの人間に良くなってもらいたいという思い」であります。
即ち、経営とは、「自分を含め周りの人間に良くなってもらいたいという思い」を「営」んでいくこと。
その思いを実践していくのが「営業」です。
この「営業」という言葉ですが、私は「営行」と教わりました。
「営行」の「行」とは、「修行」の「行」であると。
だからこそ、営業とは、モノ(商品)の前に、まず自分を売れ、つまり人間性が大切なのだと思うのです。
この人間性については、議論のあるところだと思いますが、私が考えるというか目指すものとしては、聖人君子のようなものではありません。
あえて表現すると、表面的な形の部分ではなく「相手の心を汲み取れる」ことの出来ることだと思います。
それは、中和、中道、中庸とでも言えばいいのでしょうか。
だから、この部分に関しては、一朝一夕では身に付くものではありません。
だから、「営業」ではなく「営行」であり、「行」とは「修行」と言えるのかもしれません。
少なくとも私自身はそのような認識のもと日々営業をしています。
結論として、営業とは、「自分を含め周りの人間に良くなってもらいたいという思い」を「営」んでいくこと、なのです。
最後に「経済」ですが、「経世済民」が本来の姿であり、意味するところは、「世の中の民(たみ)を済(すく)う経(すじみち)」です。
つまり、「経(すじみち)」で世の中の民を済うことこそが、「経済」なのです。
重複しますが、「経(すじみち)」とは、「自分を含め周りの人間に良くなってもらいたいという思い」のことです。
現在、コロナ禍であり、経済不況、いや、人によっては、それ以上のコロナ恐慌と呼ぶ向きもあります。
100年に一度のウイルスであるコロナは、むしろ自然災害ではないかと私は捉えています。
この状況では、周りの人間に対する思いやりを持てという方が無理とうものであり、元々から、自分のことでいっぱいいっぱいであるにも関わらず、このような非常時では、とんでもない話です。
ですが、非常時だからこそ、周りに対する、もちろん自分を含めて、思いやりを持つことが大切なことであり、それこそが「経(すじみち)」、つまり「自分を含め周りの人間に良くなってもらいたいという思い」なのではないか。
不況、恐慌とは、この「経(すじみち)」が狂っていることを指すのだと私は思います。
今、コロナで大変な時だからこそ、“思いやり”が大切なのです。
私個人でやれることは、上述した「営業」の意味からも分かるように、日々営業することが、思いやりの行動でもあるのです。
何故なら、営業自体が相手も自分も良くしていくことなのです。
美容メーカーの営業マンとして、「会社を良くしていくこと」と同時に「どうやったら美容室がよくなるか?」が私の“命題”であり、それこそが営業であり、経営でもあり、それが経済なのです。
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