コロナだから不満と分断なのか?
昨年からのコロナ禍によって私の周りには、解雇、廃業、倒産、解散に追い込まれた(敢えてそうした人も含む)人はいません。幸いなことに私自身も、そして私の会社も現状(業績の不安定さはあるものの)なんとか存在しております。
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コロナで仕事失う人と何ともない人に映る格差
救済されず不満の蓄積と分断がもたらされる
以下引用。
立場によって大きな差、雇われている限り安全
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経済情勢の変化が人々の所得に与える影響は、人によって大きな差があります。ほとんど影響を受けていない人がいる反面で、甚大な影響を受けている人がいます。これまでもあった格差が拡大するとともに、新しい格差が生じています。政府の対策は、こうした事態に適切に対応できていません。
新型コロナ問題の特徴は、人によって直面している問題が大きく異なり、一様ではないことです。
(中略)
政治への不満と社会の分断
しかも、これらの人たちがどれだけいるのか、そしてコロナでどれだけの影響を受けたのか、どちらも正確なことはわかりません。
これらの人々は、雇用されていないので、雇用契約で守られていません。
政府の援助がそうした人々に届いているのかどうかにも、疑問があります。雇用調整助成金では救われず、また、必ずしも業務委託契約を結んでいるわけではないので、持続化給付金においても、必要書類をそろえられない場合が多いと思われます。
GoToキャンペーンも、消費者と宿泊業や飲食サービス業の大企業には利益をもたらしたとは考えられますが、これらの業種の零細企業にどれだけの恩恵をもたらしたかは、疑問です。
つまり、非正規雇用者とともに、これらの人々が、救済の仕組みからもれてしまっています。
このため、政治に対する不満が生じています。そして、社会の分断がもたらされています。
この構造は、コロナが収束した後においても残るでしょう。
以上引用。
上記のような記事は、一応表面的には理解できるのですが、大前提として整理しておかなければならないことがいくつかあると思います。
100年に一度のウイルスと言われている新型コロナウイルスですが、これは誰が感染するとかしないとかではなく、老若男女、立場を問わず、人である以上は誰でも感染する可能性があるということ。
感染する可能性は絶対に否定できないし、仮に感染したとして、正直どうなるのかは、その人の免疫の在り方と対応の在り方で違ってきます。
人によって症状の出方と結果は異なるわけです。
どうすれば感染を避けられるか、感染したとしてもどのように対処すればいいのかは共有することは出来ます。
そのような現実というか現状がある中で、最悪の事態を想定して行動する人もいれば、ある意味何も考えることなく行動する人がいると思うのです。
ここは、二元論ではなく、その人の刻々と変わる状況によって行動は変わってくるだろうとは思います。
例えば、周りで感染した人が出てくると、どこか他人事であったものが急に怖くなって「もし自分が感染したら?」を考えだす人も多くいるでしょう。
感染して無症状で身体は大丈夫だとしても風評被害によって身体を壊すケースだってあり得ます。
まず整理しなければならないのは、コロナは誰にでも平等に感染しうるということ。そして、コロナによって影響を受けない人がいないということです。
確かにその中でも影響を受けやすい業界・業種とそうでないものもあるとは思います。
飲食業、観光業が影響を受けている感はありますが、何もそこに携わる人間は、その業界の関係者だけではありません。
当たり前ですが、私たちが飲食店で食事をする際には、店舗で働く方々の向こう側に、バリューチェーンに繋がった膨大な働く人間がいるのです。
畜農産業、漁業、食品加工業、運送業、卸売業、飲料メーカー、おしぼり業者、リネンサプライなどなど、コロナは、飲食店はもちろん、その「向こう側の生産者」にも多大なる悪影響を及ぼします(私が携わる美容業界にしても同じこと)。
繰り返しになりますが、コロナによって影響を受けない人がいないということです
だからこそ、「平等に」とは言わないまでも、「公平に」助けられなければならないと私は思います。
大企業、中小企業、零細企業、自営業、フリーランスという働き方の選択肢があります。
どこで働くか、どのように働くかは、その人が決めることです。
自ら望んでフリーランスとなった人、取り敢えず大企業に就職した人であっても、仕事をするという意味では、同じように語られてしまいます。
その上で、コロナによって”逆境”に立たされている人がいます。
ただ、逆境にも二種類あって、一つには、本人の努力で乗り越えられるもの、そしてもう一つが、本人の努力だけではどうにもならないものです。
本人の努力ではどうにもならない逆境であるコロナを本人の努力であると、すり替えるような論調は避けなければならないし、逆に、本人の努力で越えられるはずのものをコロナにすり替える論調も避けられなければなりません。
「コロナと逆境」という論点を正しく把握して理解しなければ、判断することも出来ませんし、ましてや間違った決断をすることにもなります。
「政治に対する不満、社会の分断」といってしまえばそれまでですが、そうなるに至った経緯が物事には必ずあります。
それは、些細な事の連続によって積み重なって、いつの間にかどうしようもないことになってしまうもの。
政治に対する不満、社会の分断は何も今に始まったことではありませんよね!?
ただ、コロナによって露になった、というだけなのではないでしょうかね?
大企業、中小企業、零細企業、自営業、フリーランスというものに、「今まで格差が無かった」とでもいうのでしょうか。
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