非常時だからこそ他人のことを思いやる
長崎市は、県独自の緊急事態宣言が発令されており、県内全域の飲食店と遊興施設に、営業時間を午後8時までとするよう要請が出されています。期間は1月20日~2月7日の19日間。全期間実施を条件に時短要請に応じた店には協力金76万円を支給する、とのことなのですが・・・
人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
まあ、このような状況になってしまうと殆どの飲食店が、なくなく要請に従い時短営業もしくは休業しているようです。
飲食店からすると、「何故、自分達だけが・・・」という言葉こそ出さないものの、本音としてはあると思うのです。
確かに、協力金76万円が支給されるようですが、これは店舗の規模を問わず一律。
誰でも少し考えれば分かることですが、ここには当然ながら「協力金76万円」で何とかしのげる店、どうにもならない店、もしくは逆にいつも以上に稼いでしまう店も出てきます。
飲食店の中でも不公平が生まれます。
感染拡大による影響を受けているのが飲食店だけではないことは誰の目にも明らかなのですが、今回、自粛要請が出されているのが、県内全域の飲食店と遊興施設。
当たり前ですが、私の顧客である美容室は対象外です。
前日のエントリーでも書きましたが、全部の美容室が、とは言いませんが、美容室もヒマになっています。
何故なら、不要不急の外出自粛を呼び掛けているのですから。
自分のお店がヒマな状況の中、一方では時短営業の要請が出されている飲食店には「協力金76万円」が支給されるというのであれば、同じ店舗運営者として飲食店の厳しさも辛さも理解も共感もしているものの、美容室にしてみても「協力金」貰っていいようなぁ、となる。
なんとも複雑な状況です。
飲食店にしてみれば時短要請が出されて、これ以上はやっていけない、となるものの、他の店舗運営者からは、「でも協力金76万円が支給されるからいいのでは?」「我々は何も補償がないのに」というよいうに、同じ日本人同士がいがみ合うことになる。
私からすれば、補償を渋る政府に責任があるのでは?と思うのですが、このような意見を言うと、「こういうときだけ政府に頼るのは変だ」「経営者ならば自己責任でしょ」「政府にはお金がないのにまた借金か」というような攻撃をされかねません(実際には何も攻撃されていませんがね)。
先日、ツイッターを眺めていたら以下のツイートが目に入りました。
今の補助金だと、
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) January 20, 2021
・まずくて客が入ってなかった店
・客のためではなく、自分の趣味のためにやってた店
・雇用をまったく生んでない店
・税金もまったく払ってなかった店
ばっかり延命しちゃうので、消費者にとってもすごく損
このツイートを見て正直どう思いますか?
一言で言えば、コロナで影響を受けない人がいないので、全ての飲食店に対して、一律ではなく、前年比の売り上げ分を全額補償すればいいのでは、と個人的には思います。
不平等、不公平を醸成するような対策がとられていることが一番の問題だとは思うのですが、税金に関して自分たちのお金とうい発想がかなりあるらしく、変な使われ方というよりも、努力していないように見える人への補償をよく思わない人が多いのかなとも思います。
ツイートにある「消費者にとってもすごく損」という部分が全てを表しているなぁと思っていて、いやいや、延命されるかもしれないダメなお店や雇用を生んでないお店、趣味のお店の方々も、オーナーであると同時に消費者だと気づかないのかなと。
所謂生産年齢人口の人間は、労働者でもあり消費者でもあるわけです。
とくに、高齢者を揶揄するようなツイートもありますが、年金生活者は労働こそしないかもしれませんが、消費はします。
消費しかしない高齢者が来店しなくなり苦しんでいるのが、美容室です。皮肉ですね。
ツイートした人の言いたいこともわかります。もちろん、上記の事を理解した上でそれでもツイートしているのかもしれません。
平時では、「他人への思いやり」や「絆」などと言いますが、非常時となると、どうやら違うようです。
非常時こそ「他人への思いやり」が尊重されなければならないはずですが、どうやら表面的にポジショントークとして言っている人が殆どのようです。
私が印象的だったのが、三橋貴明さんのブログで『「他人のことを思いやる」ことは、倫理的な理由ではなく、「生存」のために必要とされている』と書かれてあり、まさしくその通りだなと思わずにはいられませんでした。
今、日本において「生存」のために必要なのが・・・
以下引用。
大震災は、確かに悲惨な自然災害ですが、地域は限定され、かつ「起こり続ける」わけではありません。それに対し、疫病は違います。疫病は「非常事態の発生が続く」のです。
疫病拡大を食い止めるためには、国家という共同体で対処するしかない。その共同体を「小さくする」政策を三十年間も続け、安全保障については、「非常事態は起きないことにしよう」と、お花畑的なことをやり続け、この惨状。
結局のところ、我々が、「豊かに、安全に暮らす」ことを実現する経世済民達成のためには、「所得創出のプロセス」「安全保障」について国民が理解し、共同体を立て直すしかないのです。具体的には、国民が互いを思いやり、連携し、共同体の管理者たる政府をまともにする。これしかない。
恐ろしいことに、現在の日本では、「他人のことを思いやる」ことは、倫理的な理由ではなく、「生存」のために必要とされているのでございます。
以上引用。
非常時だからこそ、「生存」ためではなく倫理的な理由で「他人のことを思いやる」自分でありたいと思います。
三橋貴明「帝国対民主国家の最終戦争が始まる」
エマニュエル・トッド「大分断 教育がもたらす新たな階級化社会」
人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

【関連記事】
「人は他人に話を聞いてもらうだけで救われる」
「身近な人間に感謝を持てるか」
「非常時こそ人を思いやる心を持ちたい」
コメント