あれからもう10年なのかまだ10年なのか
以下は、以前も当ブログで引用したものですが、改めて・・・
『日本の国土面積は全世界のたった0.28%しかありません。しかし、全世界で起こったマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起こり、全世界の活火山の7.0%が日本にあります。また、全世界で災害で死亡する人の0.3%が日本、全世界の災害で受けた被害金額の11.9%が日本の被害金額となっています。このように、日本は世界でも災害の割合が高い国です。(国土技術研究センター)』より
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昨年の3月11日のエントリー「あれからもう9年なのかまだ9年なのか」から、一年が経過しました。
そうです、東日本大震災の発生より10年が経ちました。
さて、直近3年以内で、日本で起きた震度6以上の地震をどれだけ覚えているでしょうか?
2018年(平成30年)
2018年6月18日 大阪北部地震 最大震度6弱
2018年9月6日 北海道胆振東部地震 最大震度7
2019年(令和元年)
2019年1月3日 熊本県熊本地方地震 最大震度6弱
2019年2月21日 北海道胆振地方中東部地震 最大震度6弱
2019年6月18日 山形県沖地震 最大震度6強
2020年(令和2年)
この年は、幸いにも震度6以上の地震はありませんでしたが、それでも震度5の地震は、3回もありました。
2020年3月13日 石川県能登地方地震 最大震度5強
2020年6月25日 千葉県東方沖地震 最大震度5弱
2020年9月4日 福井県嶺北地震 最大震度5弱
そして、2021年(令和3年)
2021年2月13日 福島県沖地震 最大震度6強
たった3年でこれだけの地震が発生しており、災害に遭われた方におきましては今もなお苦しい生活をされていると思います。
もちろん、地震だけではなく、数多くの自然災害が起こっています。そして、昨年から100年に一度と言われるウイルスが襲ってきました。
昨年は、政府主催の「東日本大震災九周年追悼式」は、新型コロナウイルスの感染拡大を防止する措置として見送られましたが、「東日本大震災十周年追悼式」は開催されるようです。
式典に合わせて内閣府のHPに内閣総理大臣の談話「国民の皆様へ(黙とうのお願い)」というものがあります。
以下がその全文です。
談話「国民の皆様へ」
政府は、来たる3月11日午後2時30分から、「東日本大震災十周年追悼式」を国立劇場において執り行います。
東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から10年を迎えようとしています。
この震災によりかけがえのない多くの命が失われました。最愛の御家族や御親族、御友人を失われた方々のお気持ちを思うと、今なお哀惜の念に堪えません。
政府は、原発事故の被災者を含め、いまだ被災地の方々が様々な課題に直面している現実を心に刻み、復興に全力で取り組んでまいります。また、震災の大きな犠牲の上に得られた教訓を風化させることなく、また、相次ぐ自然災害の教訓を活かし、防災・減災、国土強靱化に取り組み、災害に強い国づくりを進めてまいります。
この震災により犠牲となられた全ての方々に対し哀悼の意を表すべく、3月11日の午後2時46分に1分間の黙とうを捧げ、御冥福をお祈りすることとしております。国民の皆様におかれましても、これに合わせて、それぞれの場所において黙とうを捧げるなど、犠牲者の御冥福をお祈りいただきますよう、お願いいたします。
令和3年3月2日
東日本大震災十周年追悼式実行委員長
内閣総理大臣 菅 義偉
昨年同日のエントリーでも「国民の皆様へ」を取り上げ、私は、『内閣総理大臣の談話が言葉だけにならないことを願うばかりです。』と書かせてもらいました。
その言葉とは、「相次ぐ自然災害の教訓を活かし、防災・減災、国土強靱化に取り組み、災害に強い国づくりを進めてまいります」の部分です。
あのですね・・・
談話「国民の皆様へ」が、昨年と殆ど同一の内容なのですよ。
追悼文がテンプレートという。所詮はそんなものなのでしょうね。
どうりで「災害に強い国づくり」が進められないわけです。
形だけのセレモニーなんているんでしょうか?それこそお得意の“無駄”なような気がするのは私だけでしょうか?
自然災害の多いこの国では、必要以上に一人で生きていくのは危険過ぎます。元々が、人は一人では生きていけません。
この国では何かあれば絆という言葉を持ち出すように思います。
絆云々を言う割には、連帯意識が希薄のように私には感じられて矛盾を感じずにはいられません。
連帯意識がなければ、助け合いなど出来るはずもありませんから。コロナ禍での自粛同調圧力や自粛警察などはその最たるものに思えます。
連帯意識よりもむしろ分断されている感じですね。
助け合いが必要なことなど誰にでも理解出来るし、頭では分かっていることです。でも、実際にそれが“その時”に出来るかどうかは、その人次第でしょうから。
いやいや、本当に「その人次第」なのでしょうか?
それで終わらせていいのでしょうか?
つまり、今の日本の雰囲気(環境)では、それが出来ないのだと思います。変えるべきは、雰囲気・空気感といったものではないかと思うのです。
いつからか、自己責任という言葉を聞くようになりました。
この言葉が今の日本を全て表しているように私は思います。
そして、自助を促すのが何を隠そうこの国のトップなのですから。
まあ、それはそれとして、私は美意識として困った人には手を差し伸べられる人間でありたいと思います。
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