続 クレーム処理とアフターフォローで気づいたこと


前日のエントリーの続きです。

残念ながら私は、今でもクレーム処理に失敗してはクレーム対応(処理ではなくて)に追われる日々なのですが、相手からのクレームの内容というか意見というか、そんなものに対応しているうちにふと考えたことがあり、そこを整理してみようと思います。

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仮にクレームがあったとしてクレームを、

言う人 言わない人 敢えて言う人 敢えて言わない人

というように分かれてくるのだと思うんです



もちろん、前日のエントリーでも書いたように、クレーム処理の本質は、「起こり得るクレームを未然に防ぐ」ですから言われないことがベストです。

とは言え、実際のところ、未然に防げているかも微妙なところではありますよね!?

何故なら、ただクレームを言わないだけかもしれないからです。

クレームゼロが完全無欠とは必ずしも言い切れない


お客からクレームがないことがイコール、美容室でも営業マンでも、モノやサービスが完全無欠なものと思いこむのではないでしょうか。

誰しも自分のやったことはよく見たい、という気持ちがあるから無理もないのですが、これが危なかったりする。


最悪なのは、クレームを抑えてのゼロではなくて、何も仕事をしていない場合のクレームゼロです。

この場合のクレームゼロを放置しておくと、お客の心が離れていき、取引額が減少し、そして、他社のモノ・サービスに乗り換えていくことになります。


結果的に取引が無くなるにしても私はクレームを受けたりして、お客との摩擦を恐れずに営業をした挙句ならば、それはそれで構わないと思います。

前進的、建設的な顧客の減少であり、何よりも、次回は失敗しないように対策を打てるようになるからです。


なので、クレームゼロにも起こり得るクレームを処理している場合もあれば、ただ相手が何も言わないこともあり得るので、見極めが重要だということ。

これが、クレームを言わない人なのか、敢えて言わない人なのかの境界線でしょうか。



では、クレームを言う人はどうでしょうか?

言う人であっても、それが本当にクレームなのか、言いがかりなのか、我がままなのか?はあると思います。

ただ、クレームの内容がいずれにしても対応しなければならないのですが、相手に敵意を抱かせて言わせてもいけないし、かと言って、図に乗らせてもマズイわけで

やはり、相手が何かしらを感じたことが重要だと私は思うので、どんなに些細な事であってもクレーム内容をデータ化していくことは非常に大切なことだと思います。

クレームを言われるのはホント嫌ですが、もっと嫌なのは敵意を持たれて言われると非常に厄介だなと。

どうせ言われるなら、変な表現ですが、好意を持ってクレームを言わせること、もっと言えばクレームを言わせやすくする環境をつくることが重要になるのだろうと思うのです


こちらからすると単なるお節介に感じることであっても、相手からすると「きっと気づいていないから教えてあげよう」と考えているかもしれない。


人は、雰囲気・態度を身にまとっていて、近寄りがたいイメージだとか、親近感を覚えるとかあると思います。

言いやすい雰囲気の人もいれば、言いにくい雰囲気の人もいる。

かと言って、言いやすい雰囲気だからといっても余計な事まで言われたりもする。

逆に、言いにくい雰囲気だからこそ抑止力が働いたりもする。


それぞれに一長一短はあって、どれが正解はない、とは思いますが、確実に言えることは、『人間とは共感する生き物』だということです

つまり、共感を得られる」ということが極めて重要なことだと言えるのです。


結局は、お店の運営でも営業マンであっても会社であっても、どれだけのお客からの支持が集まるかどうか。

これはつまり、ホストとゲストの関係に似ていて、そこに潜在的にどちらが上か下か、があれば共感を得ることは難しいような気がしています。





営業、販売、接客で悩んでいるなら、日本で一番モノを売っていたであろう髙田明さんの「伝えることから始めよう」を読むことをお薦めします。




ジョセフ・シュガーマン「シュガーマンのマーケティング30の法則」お客がモノを買ってしまう心理的トリガーとは





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