モチベーションの源泉は自らが作っていくもの
たまぁ~にですが、美容室向けに勉強会をやっていて、その内容から何かしらの刺激を受けて感想とでも言えばいいのでしょうか、”想い”を私にぶつけてくる人がいます。私としても自分がやったことに対してのリアクションがあることはそれなりに有難く受け止めさせて頂くのですが、そのような方はどこか的外れな印象を同時に受けてしまいます。
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例えば、「やる気になりました。頑張ります!!」「○○のようお店にしようと思っています」とか。
勉強会とは書いていますが、実際には、うちの会社のモノ・サービスの販売促進会の意味合いが強いと思っています。
ただ、販売促進会とは言え、それをやることにより双方が得をするような内容になっています。当たり前だけど。
その前提がある上で敢えて勉強会と書かせてもらっています。
単に販売促進会であるならば、誰でも簡単に分かる内容ですし、その日からでも使える内容のはず。
ところが、そのような「誰でも簡単に」とは聞こえはいいですが、少し考えれば、それこそ「聞けば誰でも出来てしまう」ことに他なりません。
ただでさえ全国に美容室は25万軒以上存在しており、美容の技術自体に差がなく、敢えて皮肉を書かせて頂くと、あるとすれば価格差でしょうから「誰でも簡単に」を取り組むことなど時間の無駄というか自殺行為と言えるでしょう。
ということで、私が行う勉強会の内容は、ある程度の回数を受けて頂き、積み重ねて学習することにより、身に付く内容となっています。
一回聞けば則実践には使えません。かと言って、ある程度分かるようになってから実践するのでは意味がありません。
分からずとも何となく実践して、成功と失敗を繰り返しながら、そしてまた教わってを繰り返し、体で覚えていく感じでしょうか。
勉強会の内容によっては、相手のメンタルを揺さぶるようなこともあります。揺さぶるような内容をワザとやったりもします。
何といいますか、やる気にさせるような。
でもこれって麻薬的というか、他からの刺激によってしか生じない”やる気”などむしろ出さない方が健全かもしれません。
私は、モチベーションの源泉は自らが作っていくものだと思います。
とはいうものの多くの人がモチベーションという言葉に踊らされているのかもしれません。
冒頭に、自分の想いを伝えてくる人に対して「的外れな印象」を受けると書きましたが、それに気づけるようになったのもここ数年の話であって、以前の私であれば、そのような熱い想いを受けて悪い気どころか、むしろいい気になっていました。
「俺の勉強会が最高なんだな!!」って感じです。
まあ、勘違いもいい所ですよ。ホントに。
自分の勉強会が最高だと思い込んでいるから次第に努力をしなくなります。
努力をしなくなるとは、つまり不勉強となること。そして、世の中の流れが見えなくなりつかめなくなる。
すると勉強会を受ける美容室が徐々に減っていく。
熱い想いをぶつけてくる美容室と図に乗る美容メーカーの営業マンの図式が見事に形成されていくのです。
その先に見えているものは、努力をしない者同士の傷のなめ合い。
そのような状態では、美容室も営業マンも伸びることなど一切ありません。
そうなってくると事態は非常に厄介で、現実が何も見えなくなってきます。例えば、売上(数字)というもの。
勉強会はあくまでも切っ掛けに過ぎません。それ自体にとくに意味はありませんから。
営業マンも勉強会をやれば数字が上がることもなく、美容室も勉強会を受ければ数字が上がることもありません。
数字を上げる切っ掛けになることはあったとしても勉強会を受けているだけでは何も変わりません。
教わったことを理解して実践してこそ数字につながっていく。
数字を上げる絶対条件が勉強会ではないとは思いますが、数字を上げている世の中の人は、”勉強”をしている。
的外れとは、勉強会を受けるだけで何か違ってくるという思い込み、ということ。受けるだけでは、何も変わりません。
グレッグ・マキューン「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」
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